幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

きせき。

思い起こしてみると、私の成人してからの歩みというのは、ひたすら「暖かい家庭」を求めていたんだろうな・・・とここ数年感じるようになりました。

 

父親の仕事の関係で、慣れれば遠くの土地へ転校を繰り返し、そこから逃れるために父には単身赴任をしてもらい千葉へ定住したものの、単身赴任で家の主がいない生活と言うのは、やはりどこか寂しく、その上に降りかかった家庭のトラブルで単身赴任解消後の冷え切った家庭環境を経験して来た私は、無意識のうちに理想の家族像を自分で作り上げ、それを手に入れたくて無理ばかりして来たように、思います。

 

どこかで、甘いんでしょうね。50代も後半になろうと言う今でも、それは嫌だとか、ストップかかけられず、自分の近しい人に希望されたことを受け入れては、悪いほうの選択ばかりをしてしまい、失敗を繰り返しています。今回は仕事の選択ですね。本当の私の想いは、老後で描いていた夢を変えてまでUターンはしたくはなかったのですが。止めれば良いのに進んでしまって、また経済的な損失を大きく蒙った上で、再出発を余儀なくされています。

 

それは自業自得でどうでも良いことですが、今の私の望みは、何とか自分の息子には、共に信頼して歩いて行ける人と巡り合って暮らして欲しいと、いう事しかありません。

 

早く結婚して孫の顔が見たいとかいうものではありません。本当に信頼出来る人と、息子を信じて寄り添ってくれる人と巡り合って欲しい。ただ、それだけです。

 

そんな中で、こんな動画を目にしました。

 

youtu.be

これはゲームメーカー作成の、いわゆるプロモーション活動の一部なのでしょうが、題材は実話をもとにしたもの。
鉄拳さんのいわゆる「パラパラ漫画」のシンプルさが余計にストーリーの純粋さを引き立ててくれていますが、転勤族がゲームをきっかけに一人の女性と出会い共に暮らすまでの話を観ていて、何故か私の頭は、息子のことでいっぱいになってしまったのです。

 

どんなきっかけでも良いから、信じて寄り添ってくれる人と、出会って欲しい。

出来れば、私の命の尽きる前に。

そうなってくれれば、私は思い残すことはありません。

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トヨタ。

2018年1月27日更新:さすがと言うか、あっという間に「盗用多」では引っ掛かりもしなくなりました。
試しにエントリータイトルを変更してみます。

2017年12月12日更新:

ちょっと前まで「盗用多」で検索して来られる方が多かった記事ですが、現在ではGoogleYahoo!共にまったく検索結果に表示されなくなりました。

検索エンジンの対策対象にされたようなので、記事掲載日とURLを変更してみます。

 

とても中国や韓国のメーカーを笑えない、大・コピー帝国「トヨタ」。
エントリータイトルを「盗用多(笑)」とさせていただきましたが、その悪行三昧(笑)をここに晒してしまおうと、思います。

ざっと、画像を集めてみましたので、ご覧下さい。

まずは手始めに・・・

ポルテ
発売 2007年7月

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(引用:トヨタホームページhttp://toyota.jp/porte/index.htmlより)

両側もとい、片側スライドドアの小型車・ポルテですが、どっかで見たことあるデザイン&アイディアですね。とてもトヨタのオリジナルとは思えません。

これの元ネタは、これでしょう。

プジョー 1007

デビュー 2002年パリ モーターショー
発売 2004年

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(引用:http://www.carview.co.jp/road_impression/2006/peugeot_1007/

いかがですが?そっくりそのまま、しかもポルテのデビュー時期を見ると、言い訳は難しいように思います。


お次はこれもトヨタが革命的なクルマを出した・・・と、当時メディアでもてはやされました。しかも相当のヒット車になりましたね。

まずは、元ネタをご紹介。
ルノー エスパス
デビュー 1984年
(写真は2代目エスパス・1991年デビュー)
(引用:http://kuruma-ex.jp/usedcar/detail/CU0003079204

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さあ、トヨタの革命的なクルマ、デビューです!6年ほど遅いですけど(笑)何気にイメージカラーまで一緒です。
エスティマ
発売 1990年5月

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手始めに二つご紹介しましたが、まだまだ、こんなものでは盗用多と呼ぶには手ぬるいです(笑)!


ちょっと前まで私の愛車だったセニックも、見事にコピられています。
ブログのネタにもしましたが(笑)
ルノー セニック(写真は元愛車のセニック号フェーズ2・2000年デビュー)
デビュー 1995年
フロントビュー

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リアビュー

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メガーヌスパシオ・・・じゃないです。実はカローラって言います。
カローラスパシオ
発売 1997年1月

フロントビュー

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リアビュー

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リアビューのレイアウトなんか、もうモロコピーですね。


お次に、これもデビュー当時は話題のクルマでしたね。こいつはクルマのデザインじゃなくて、エンブレムがコピー対象です。

プジョー
創立は現存する自動車メーカーとしては、メルセデスと並び世界最古参です。このブルーライオンを真似するなんてとんでもない。
しかし盗用多(笑)は大胆に一車種のエンブレムとして扱ってしまいます。

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もう、お分かりですね。これに化けました(笑)

ソアラ
発売 1981年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%A2%E3%83%A9

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ウィキペディアではグリフォンをイメージしたデザインと言っていますが、とんでもない。
グリフォンだったら、頭は鳥(鷲・鷹)です。
このエンブレムの頭部はどう見ても猛獣系ですね。プジョーブルーライオンをコピーしたと、素直に言えば良いのに。。。わざとらしい「後付け」の羽根が、痛すぎます(笑)


お次は、派生車で全部パクっちゃえ!のコーナーです。
ルノー メガーヌ
写真の2代目は2002年デビュー

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ラクティス
2005年発売
元々、ファンカーゴというクルマがモデルチェンジを機に改名。このデザインを見た時、さすがに私は吹きました(笑)リアビューはメガーヌⅡの縮小版ですね。

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ラクティスの元ネタのファンカーゴそのものは、こいつのコピーです。カングーのコンセプト丸絞りで出来上がった、盗用多(笑)版のフレンチ・ビーグルです!(笑)

ルノー カングー
1997年デビュー

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ファンカーゴ
1999年発売

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ここまで似ていると怒るを通り越して失笑が出ます。フランス車が日本ではマイナーで、知らない人が多いからコピっちゃえ!と言うのであれば、消費者を舐め切ってますね。まあ、そういう体質の会社なのでしょう。
本当のクルマ好きはトヨタには乗らないというのは、自明の理です。
トヨタのクルマはどれを運転してちっとも楽しくないのは、多分作る人も作っていて楽しくないのでしょうね。

こんなデザインのコピーだって、今はネットで全部調べられます。
トヨタの派生車生産能力であれば、短期間でデザインコピーなんて容易いでしょう。金型だって下請叩けばすぐ調達出来ますし。

アメリカのGM亡き後、トヨタフォルクスワーゲンか、と言われていますが、フォルクスワーゲンに失礼です。
まずはコピーを止めて欲しいものです。

トヨタの闇

トヨタの闇

  • 作者: 渡邉 正裕
  • 出版社/メーカー: ビジネス社
  • 発売日: 2007/11/07
  • メディア: 単行本
 

 

 


想い。

このところ、テレビを熱心に観るという事もすっかり減ってしまって、それもやはり仕事の影響が多かったのですが、本当に久しぶりに続けて観てしまっているドラマがあります。

www.tbs.co.jp初回から14%以上と言う高視聴率ですので、同じような方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?

 

原作者の池井戸潤さんの作品はこれまでもいくつかありましたが、そのすべてを私は観ていません(笑)テレビドラマどころじゃない生活が続いていたのもありますが、観たいというスイッチを入れてくれるきっかけも、無かったんですよね。

 

今回は何故「観てみよう」と思ったのか、やはり自分にも迷いが色々生じていたんでしょうね。一般的に言えば「負け組」になってしまった人達が、目標を一つにして、熱い想いで立ち向かっていく姿に心惹かれ、初回からストーリーに、そしてこの番組の制作スタッフの目指すものに共感して、日曜日の夜にはチャンネルを合わせるようになってしまいました。

 

以前にも同じ想いで番組を続けて観ていたことがあります。それは“平成ライダー”の初作品である「仮面ライダークウガ」でした。こちらは私のブログでも何回か取り上げさせていただいております。

 

仮面ライダークウガ。 - 幕張の風

自分。 - 幕張の風

 

仮面ライダーと池井戸作品ではまったく違う、と言われてしまうかも知れませんが、番組を作る側の心意気には、私は同じものを感じてしまったのです。

 

今回の「陸王」、現在番組ホームページ横に表示されている公式ツイッターで、こんなことが書いてありました。


「24日の最終回を見終わった後に、一歩踏み出してみようと思える、自分をほんの少しだけ変えてみようと思える、そんな気持ちになっていただければ嬉しいです!」

良質の作品って、観ていてストーリーや出演者への関心だけではなく、何か心に響いてくるものがあります。陸王でも、観る人に対しての応援メッセージ的な要素が随所に感じられ、またそれを制作スタッフも意識を共有して、しっかり視聴者に届けようという想いが伝わり、それが高視聴率へとつながっているのではないかな、と思いました。

 

以前の仮面ライダークウガの時に感じたのは、本当に強い「力」を持った時に人はどうすべきなのかを、番組のターゲットである子供たちにしっかり伝えようという心意気でした。単なる勧善懲悪のヒーローモノで済ませるのではなく、力をふるうことに抵抗を感じ悩む主人公、そんな気持ちの葛藤を描く子供向けの番組なんてこれまでなかったなと、私はクウガの制作スタッフの想いに強く共感してしまいました。人間に対して自ら望んで得た力をふるい無意味な殺戮を繰り返す集団に対し、同じ力を得たのにそれを人を守るために使う主人公・・・。力で押さえつければ良いという事ではなく、力を使う意味を間違わずにいることが大切なのだと、それを観ている子供たちに伝えることが出来る、良質の作品だと思うのです。

 

今回も、取り上げる題材も内容もまったく異なる番組ではありますが、制作スタッフの想いには、共通項を多く感じます。それぞれの仕事や立場、その中での思いや葛藤を通して、誰かの為になることを貫くことが、自分の想いを一番満たしてくれるはず・・・正しい正しくない、そして上手く行く行かないではなく、どんなときにも諦めずやり抜く想いの大切さを、忘れないようにしなくては。

 

陸王はあと3回で放送を終えてしまうそうですが、最後までしっかり、「想い」を感じて、自分の振り返りにもなればな、と思います。

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完了。

2015年から始めた、So-netブログからの移行作業。
一度、Livedoorブログへ移行してから、改めてはてなへの移行を行ったのですが、画像とリンクの移行が自動で出来ず、手作業となっておりました。

なんだかんだと、千以上もあるエントリーのチェックをしながらの、画像の貼り付け直しに加えて、時間を遡れば遡るほど、リンク切れが多くあったりで、その修正もしながらでは中々作業が進みませんでした。

 

2年近くかかっちゃったんですね。

ようやく、「仮ブログ」のLivedoorを削除出来ました。

元のSo-netブログを始めたのが2005年の8月でした。その頃から、今の私を見るとどんな感想がもらえるのでしょうか?

 

「進歩ねえなあ、50超えても」

 

なんて言われるのがオチかも知れませんね。

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無理、無駄、無益。

竹内まりやの「クワイエット・ライフ」が発表された頃、最初の妻と別れた。オープニングナンバーの「家に帰ろう」が、尋常じゃないくらい、心に痛かった。

 

初めての離婚、よもや離婚なんて、自分がするとは考えもしなかったから、その状況を自分のこととして考えることがなかなか出来なかった。

 

両親の不仲を、高校時代から見てきた。弟には普通の生活をさせたくて、母に打ち明けられた「事実」は自分の心の奥底に仕舞い込んだ。
父が家庭に殆どお金を入れなくなり、家族らしいことが出来なくなって来たけど、自分のバイト代で母の誕生日や弟の誕生日に、プレゼントを贈ったりもした。

 

そんな父を反面教師として、自分は妻になる女性に、希望することは何でもしよう・・・そう考え実行したから、若くして二世帯住宅を建て義理の両親との同居も受け入れた。

しかし、世の中は優しくすればそれに応えてくれる人ばかりではないことを、これから何度も思い知る事になるとは、28歳の私には想像もつかなかった。

 

最初の妻は、私と別々に暮らし始めて、ようやく私の辛さに気づいてくれた。


「何て思いやりのないことをあなたにしてきたの」


そう詫びてくれたけれど、私の負った痛手は精神面であまりに大き過ぎて、向精神薬が手放せないレベルになってしまっていた。


別れて初めて気づく・・・と言うのは、やはり相手が自分の思い通りになるという慢心からくるのだろうか?

 

どんなに、「これはこの人の為なんだ」と自分を抑えていても、それを感謝して受け入れるまでとは言わないが、それを気づくことすら出来ない人に対して続けることは、抑える側の単なる自己満足の自傷行為に過ぎない。

 

これは結婚に限らないかも知れない。

仕事における人間関係でも、同性同士の友人関係でも同じだろう。

まずはコミュニケーション。相手を大切に思い、力を貸したいと思うなら、まずは話し合いから。
通じないなら、手を付けるべきじゃない。

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ずっと

当たり前だった 目に映る景色

崩れ落ちた 積み上げたはずの石に

繰り返した躓きの 償いは重く

取り戻せない暮らしに 焦る日々

でもそれは前触れもなくやって来た

巻き込まれた 嵐の終わりは突然に

 

何気ない いつもの道で
感じた心の距離

夢見てた未来は遠く

闘いの日々に埋もれて

 

目に映る景色がふいに 滲んできた朝日に

ただいま を言おう

僕を待って居たのは 昔繰り返したデッサンとは違う

柔らかく包む 暖かな日差し

寄り添ってくれるぬくもりがあるからきっと

待ち侘びた日々が そこにある

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無情。

私の、仕事上のキャリアの最初は、貸金業協会でした。金融110番の主担当で、1980年代後半のバブル前夜、改正貸金業法金利が移行措置の54.75%だった頃。私はその後協会の指定個人信用情報機関へ転籍することになりますが、金融110番での債務整理を行った方は4年間で300人ほど。

その中の一人に、30代前半の女性がいました。
協会で債務整理を行った条件で返済を始めて2年目に入り、それまでは約束の入金をしっかりなさっていただけでしたが、突然協会の事務所へいらっしゃいました。

なんでも、債務整理で生活が元に戻り、心にゆとりが出来たことでお付き合いを始めた男性からプロポーズされたとのこと。この女性は正直に協会での債務整理を男性に伝えたところ、「俺が全部払ってやる」とのことで、途中一括返済のご相談に来られたのです。

残債が多ければ一括弁済で再度業者側と減額交渉も行うことが出来るのですが(この交渉は貸金業の実務を知らない弁護士には絶対出来ません)、この女性は「もう、充分良くしていただいたので、減額は要りません」とのことで、現在の残金全額で一括完済をなさいました。
協会事務所からお帰りになるとき、「本当にありがとう。こちらでお世話になっていなければ、こんなに嬉しいことが起きることはなかったと思います。また遊びに来ても良いですか?」と言って、お別れをしたのです。輝くような笑顔を残して。

まさか、それが最後になるとは、思いもしませんでしたが。

それから3か月ほどしたある日、新聞の小さな記事を見て、私は絶句しました。その女性の名前が、「交通事故で死亡」の記事と共に、載っていたのです。


私は、いったい何の為に、彼女の人生に関わったのか?これで本当に彼女は良かったのだろうか?色々なことを考えました。そして人生はこれほどまでに無情なものなのかと、大声で叫びたくなるほど、心の痛む出来事でした。

今では、テレビでも「借金問題、過払い返還」なんて司法書士風情がCMを流す時代。直接会って相談して解決することもなく、電話一本で条件に合えば本来は有効な支払済みの金利が返ってくる魔法で、誰にも感謝の気持ちなんて、持てない世の中になってしまいました。

きっとそんな過払い返還なんて、この女性なら絶対に考えなかったでしょう。それでも、そんな方がどうしてこんなに早く、この世を去らなければならないのか?

私に、まだ現世で出来るのことはあるのでしょうか?しっかり見つめ直してみなければなりません。いつ何時、どんな理由でこの世を去ることになるか、分かりませんから。精一杯のことを、したいと思います。

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支え。

タクシーの仕事をしながら、空車の時にはFMラジオを聴いているのですが、その中で現役の高校3年生が、両親の離婚に戸惑い進学を諦め、それでも自分の夢を追いたいのに現状に流されている自分が恥ずかしい・・・と言った内容の、電話相談を取り上げていたものを耳にしました。
この子は女性ですが、自立し生活費も自分でまかないながら、高校卒業後は自分の夢を追いたいと。
その姿に、私が大学生時代、学費と生活費に追われて中退してしまった過去が被り、思い出されてしまいました。でも、この女性と比べれば、タイミングは楽だったかも知れません。

学費を払ったとは言っても、私は大学入学時には親に入学金を払ってもらっています。入学してから家庭環境が激変してしまいました。両親の不仲(有体に言えば、父親が不貞をした上にお金を家に入れなくなってしまっていました)とそれを原因とした母の情緒不安定で、私は突然降りかかった生活費と学費の負担でアルバイトに追われ、元々それほど興味の持てなかった大学の授業に興味を完全に失うまでに、さほど時間はかかりませんでした。

すさんだ自宅へ帰るのも辛く、このラジオの女性が耐えかねてラジオで電話相談したものを、高々19歳の私がどうやって精神状態を維持していたのかなと、ふと考えましたら、これまでは辛さからでしょうか、自分の当時の記憶を完全に消し去っていたものが、何故かこの時すーっと思い出されました。

大学入学後しばらくしてから交際を始めた女性に、私は完全に精神的に依存していたのです。「帰りたくない」とこぼすと彼女は「あなたのお母さんには、今あなたが必要なの。帰って支えてあげて」と、諭してくれることも度々。

でも、私が我がままを言って彼女を困らせることの方が、多かった。彼女もまだ大学生。学校もある家にも帰らなければならない。予定を曲げても私と一緒に居てくれと、無理なお願いばかりしていました。その結果彼女も負担に耐えかねてしまって、別れることになってしまいました。私はまだまだ子供だったので、自立したお付き合いが出来ず、本当に彼女には迷惑をかけてしまいました。もしどこかで会うことが出来たら、感謝の気持ちだけでなく、謝りたい気持ちでいっぱいです。

この苦しかった時に私を支えてくれた人がもう一人。昨年4月に亡くなった伯父です。両親の不仲で収拾がつかなくなり、困り果てて真っ先に相談したのが、伯父でした。伯父は明番にも関わらず、能登から千葉まで飛んで来てくれました。

「お前らいい大人二人がしっかりせんもんやから、子供がこんなにしっかりしてしもうてて・・・。恥ずかしいと思え!」と。両親をいさめる伯父の言葉を聞きながら、私は本当に救われた思いがしました。

本当に追い込まれてしまった時には、必ず支えてくれる人がいました。今もそうでしょう。扱いの難しい、お金のかかる大学生を抱えた私の所に来てくれて、寄り添ってくれる妻がいます。焦りのあまり事業を失敗し、そこから脱しようとあがけばあがくほど落ちてしまって、自己破産まで追い込まれてしまいましたが、それでも離れずに居てくれます。

 

日々の生活に埋没しているつもりはないものの、やはり一度レールから外れた生活を立て直すのは容易ではありません。
一般的な判例とはかけ離れた不当な裁判の結果で負わされた借財に加え、そこから焦って早く脱しようとした結果、更に悪い結果を招いてしまい・・・。

タクシードライバーとして当面の生活の糧を得ながら、息子の学費負担に追われていますが、これもやはりお金に苦労して中退してしまった、自分の悔しい思いを息子にはさせたくないが為。


若い頃から睡眠時間も短く、身体を酷使して来ましたので今では障害のある左腕だけでなく、右腕も肩・肘・手首を痛め、仕事だけでなく日常生活にも支障が出て来ました。心臓にも肺にも、今は治まっていますが持病を抱えています。

それでも命まで取られた訳ではありません。今、自分が出来ること・可能なことに集中して、必ずこの苦しい状況は終わると信じて進みたいと思います。
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心機一転。

個人的に、2008年から続いていた数々のトラブル。まるでサイコパスの前妻からの離婚裁判時に相手方の代理人だった弁護士への懲戒請求も、互助組織としか思えない弁護士会には自浄作用などあるはずはなく、当然のように棄却されてしまいました。

裁判時の違法証拠提出なども併せて、民事での訴訟へ移行するつもりでおりましたが、現在の私の状況と、将来に残された時間を考え、すべてを止めることとしました。

過去に拘泥するよりも、これからの家族との時間を優先したいのです。

息子も、これから将来を決める就職活動へと入ります。私も、現在の妻との今後の生活計画をしっかり組み立てる必要があります。過去のことに拘泥して時間やエネルギーを浪費するよりも、新たに何かを生み出す努力をする方が、必要だと気付いたのです。

私が現在生業としているタクシードライバーだけではなく、他にも私に出来ることを探し、それに集中します。

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実証。

先日都内で行われていた、タクシー初乗り運賃410円の実証実験結果が発表されました。

trafficnews.jp

この実験には私の勤務する会社も参加しておりましたが、その実験方法には疑念を抱いておりました。
JR新橋駅の指定乗り場から乗車する車両で、実証実験の表示を行ったクルマのみがこの実験対象車両となるのです。(乗り場は他にもいくつかありました)

 

www.mlit.go.jp


「実証実験」というのなら、普通に考えれば比較対象集団をほぼ同条件で設定し、料金設定以外を同一にして、二つの実験結果を比較しなくては、意味がないと思いませんか?

この実験内容では、初乗り410円とした車両の乗車率や日ごとの売上は分かりますが、同じ日の同じ条件での730円初乗りのままのタクシーの、乗車率や売り上げの変化は比較のしようがありません。

 

本当に実験検証をやるなら、都内の営業エリア全域での流しタクシーのサンプル集団を抽出し、410円初乗りとしたものの乗車率(実車率)と売上を、730円初乗りのままのタクシーの乗車率(実車率)と売上と比較すべきです。

もちろん、その母集団のタクシー運転手の技能(営収を上げる能力)によっても左右されるので、平均営収のほぼ似通った運転手をそれぞれに配置する必要があります。

こうやって初めて本当に比較が出来るものを、指定乗り場乗車だけで何のデータを公表するのかと思ったら、そのタクシーに乗車した人に対して、乗車意向調査をしただけ・・・と聞き、驚きを通り越し怒りすら湧いて来ました。

「茶番」ですよね、これ?始めっから運賃改定ありきで、世論誘導して改定へのおぜん立てをしたに、過ぎません。

私が初乗り410円を「値下げ」と表記しないのは、これはまったく値下げではないからです。

初乗り以降の運賃は、従来は280メートルごとに90円(≒0.321円)ですが、新料金では237メートルごとに80円(≒0.337円)なのです。


渋滞がないと仮定して比較すると、10キロ(1万メートル)の料金は

従来は2キロ730円+8,000メートル×0.321円≒3,290円

新料金では1.059キロ410円+8941メートル×0.337円≒3,420円

 

となってしまいます。完全に「値上げ」です。

2キロ以降の料金は、むしろ高くなってしまうこの料金体系は、これまでのタクシーの中心利用層の離反を招くのではないかと、懸念しております。深夜のロングのお客様の料金は、確実に1割以上は高くなるからです。そんなんで「タクシー高いし、始発待とうか?」なんてなってしまえば、初乗りが下がる以上に我々タクシー運転手には痛い。私の場合で一か月の営収のほぼ4割が、深夜帯の売上だからです。

初乗りを410円にして営収が下がることは努力で補えます。しかし、大幅値上げとなる遠距離顧客の離反を招けば、これは努力ではどうにもなりません。

最大手企業の思いつきだけで始めて、内容を深く検証せず突っ走るのは、勘弁して欲しい。一つの産業の根本を変える時は、もっとしっかり検証を行って欲しいものです。

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父の姿。

皆さんは、「父親」と聞いてイメージすることは、ありますか?

日本も核家族社会(単一世代または直接の親子のみで構成される世帯)と言われ久しく、家庭における父親の役割というのも、私の子供時代の昭和40年頃とは、大きく変わっています。

普通に考えれば、男性であれば成長し結婚し子供を授かることが出来れば、誰しも「父親」になる訳ですが、誰でもその立場になることは出来こそすれ、「父親」の役割をきっちり理解し、果たしている方は、少ないんじゃないでしょうか?私も含めて。

一般的には男性が父親になるときに、手本とし習おうとするのは自分の父親だと思います。ただ私は、実の父との関係が良くなかったこともあり、また実際問題としてあまり手本に出来るような父親でもなかったので、私にとっての父親の“お手本”は、故郷の能登の実家の近くに住む母の兄、つまり伯父でした。

その私にとって「父親」そのものとも言える伯父が、今年(2016年)4月に、帰らぬ人となりました。私の実の父からメールで伯父の死の一報をもらった時、頭が真っ白になりました。ここ数年体調不良が続き、特にここ1年近くは外出も出来なくなるほどに、伯父は弱ってしまっておりましたが、何故か「きっとまだ元気で居てくれるだろう」と、勝手に理解してしまい、この年の正月の帰省を見送ってしまったことが、悔やまれました。

幸い出番の調整も出来、告別式には何とか間に合いそうなので、私はクルマを飛ばして一路能登を目指しました。

葬儀では、故人を偲ぶ映像として、これまでの写真を順にビデオとして流してくれました。その中で、私も一緒に連れて行ってもらった甲子園球場での写真もありました。私が高校3年生になる前の春休み、実家に久しぶりに帰省した時に伯父に「甲子園へ選抜高校野球観に行かんか?」と、誘われたのです。

 私は弟と二人で、伯父の運転するワゴン車に伯父の家族と一緒に乗り込み、奈良大和路と大阪へ向かいました。

 

甲子園球場での観戦中、私たちの前に座っていた女性2名に、後ろから吐いて飛ばされたガムがついてしまうという、「事件」が発生しました。私はこんな人の多いところでガムを平気で吐き捨てる感覚が許せず怒りに震えていましたが、隣に座っていた伯父は、もっとすごかった。大声でガムを吐いた人間が居ると思われる方を向いてこう怒鳴ったのです。

 

「誰やこんな悪いことするがは!!ここへ出でこ!!(こっちへ出てこい)」

 

その剣幕に驚いた二人の若い男性が、その場から逃げるように立ち去って行く姿が、はっきりと分かりました。

 

いつどんな状況でも、とっさに「良いことは良い、悪いことはダメ」ということがはっきり口に出して出来行動できる、そしてそれが決してぶれることがない伯父は、私にとって本当に「父親」のお手本でした。

私は、両親がそろっているのなら、父親は規範、母親は愛情を子供にしっかり伝えることが大切だと、考えております。そのことが子供にしっかりとした規範意識を身に付けさせ、人にやさしさをもって接することが出来る大人となる基盤を作ると、考えるからです。

私は、結構やんちゃでわがままでしたので、伯父のところの兄弟二人と一緒に遊ぶときなど、しかられることもしょっちゅうでしたが、私は伯父を怖いと思ったことは一度もありませんでした。伯父の「叱る」には、いつも愛情が根底にあるのを、私には理解出来たからです。私が決してやってはいけないこと、間違ったことをすれば全身全力で怒りを表してくれます。伯父には、本当に感謝しかありません。

 
私が、会社の経営に失敗しタクシー運転手となることを決意したのも、伯父がその仕事を生業としていたことが、大きな理由です。才能がありながら家を守ることを背負わされ、田舎に「封印」されたまま3人の子供を皆東京の大学へ進ませた伯父が、家族を守るために選んだ仕事だから。


タクシーの仕事は、見た目以上に精神的にはきつい仕事です。流しで選ぶ道を間違えればお客様には出会えません。給料はすべて自分の売上次第です。黙って会社に出勤すれば給料が出るほど甘くない。ご乗車位置から、目的地を伺った時点で瞬時に経路と時間、最短コースを判断しなくてはなりません。色々な方が乗って来られます。気の良い人ばかりではありません。すぐ怒鳴る人、騒ぐ人、どんな人にも苦情となることがないよう、臨機応変に心地よい対応をしなくてはなりません。

 

一人深夜の運転席で、売り上げの上がらないプレッシャーに耐える時も、疲労の極限で眠気と闘いながら運転している時も、傍で伯父が見守ってくれていると感じながら、「無事帰るぞ、目標はやり遂げるぞ」と諦めず粘ることが出来るのは、私に父の姿を見せてくれた、伯父の後姿があればこそです。

本当は亡くなる前に、一度で良いから私のタクシーに、乗ってもらいたかった・・・。


これからも、見守っていてください。

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納得。

お盆前のことですが、明番の朝に妻が「ミキサー使いたい」というので、準備しておりましたところ、明番と言うこともあってうっかり先にコンセントをつないだまま、歯の部分を本体に取り付けてしまいました。
すると当然のように歯が回転して、私は右手人差し指を6針縫う怪我をしてしまいました。

当然、いつもであればコンセントもつながず、電源スイッチも入れずにやることなのですが、明番で予定ぎっちりの私は何か頭がボーっとしていたんでしょうね。コンセントを先にさしてしまうという失態を演じてしまいました。

でも、ミキサーであれば安全装置がついているはずです。私が使用しているのはハリオのEBL-750という製品(OEMで製造元はフカイ工業です)ですが、安全装置はあるものの、歯が取り付けられているボトルホルダーを取り付けない場合だけ働くところにセンサーがあり、肝心のボトル取り付けする・しないについてはまったく感知しないのです。

他社製品がどうなっているか気になって調べましたが、

普及価格帯のテスコムのTM-8200という製品でも、センサーはボトル取り付けに対して働くようになっております。
http://www.tescom-japan.co.jp/support/manual/pdf/kitchen/TM8200.pdf

家電最大手、パナソニックの製品では、MX-X301ですとボトルそのものにのみセンサーが反応するように取り付けられています。
http://panasonic.jp/p-db/contents/manualdl/1428195521947.pdf

歯がむき出しの状態で、安全装置が作動しないというのは、やはりどう考えても納得出来ません。
私以外にも、同じような怪我をした方もいらっしゃるのではないでしょうか?

ハリオのホームページには、問い合わせは電話のみでしたので、公式Facebookページからビジターで問い合わせを行いました。

見解を確認させていただきたいと思います。これでは、右手人差し指がおそらく今後以前のように動くことがない以上、納得することが出来ません。

もし、ミキサーご購入を検討し、機種を選ぶ時にはご参考までに。

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星が降る前に。

2016年7月7日更新:
私のYouTubeアカウントが、他の動画のアップロードについてJASRACとの交渉決裂により凍結されたため、旧ファイルがすべて閲覧不可になってしまいました。
私にとってとても大切だった八田さんとのやりとりまで・・・。


当初のエントリーアップ時に、まさかご本人から私のアップしたYou Tubeへコメントいただけるとは思わず、それを見たときにはパソコンの前で固まってしまいました。

残念ながら今は前記のような理由で見ることは出来ませんが、そのYou Tubeのコメントをご覧になり、ブログをアップなさった方もいらっしゃいました。

ストリート・ロックの時代:八田雅弘



しばらく、復活させる(法的手段へ訴える)余裕もないため、新しい動画を作成してアップしました。それに合わせてブログエントリーとリンクを修正しました。

 いくつになっても、いつになっても、やっぱりこの曲は、私の原点です。
(最初のエントリーは2009年2月)


星が降る前に 八田雅弘


 

八田雅弘というミュージシャンを、ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?

 

佐賀県出身、“SKY”というグループの解散後、北沢英三から八田雅弘に改名しソロデビューしたミュージシャンです。

シンガーとしてはあまりパッとしたセールスはありませんでしたが、おニャン子(これも懐かしい響きですが)の高井麻巳子さんや、世良公則さんなど、コンポーザーとしての活動が多かったイメージがあります。その中で私が印象的だったのはフジテレビ系の“夢で逢えたら”という深夜枠の番組の最後のほうで発表された、「フォーエバーフレンズ」という曲です。

ただ現在はまったく音楽活動はされていないようで、ネット上でも殆ど情報が存在しません。(追記:2009年当時で現在はGoogle検索でかなりの情報に接することが可能です)

 

“星が降る前に”は同名の曲がアルバムに収録されていますが(A面2曲目)、この曲の頭の詞は“俺は人の海を櫂も持たずに船をこぐ”という、このアルバムの前に発表したアルバムの名前と同じ歌詞で始まります。

 

このアルバム、当時私の心の琴線に触れてしまいまして、持っているレコードの中では一番良く聴いたのではないかと思います。

 

八田雅弘はロック・シンガーとして売り出してはいましたが、ギターのフレーズとかアレンジはどっちかというとフォーク系のように感じられました。メロディーやボーカルの声質から考えて、当時の私が聴いてもなんだかアレンジが良くないな、と感じたほどなのでセールス的にはさっぱりでした。でも、ボーカルに秘められた想いと歌詞のストレートさが、他のアーティストには感じられない魅力に思えて、ずーっとこのアルバムを録音したテープはクルマに載せていました。

 

一番の魅力は歌詞でした。

 

先述の“俺は人の海を櫂も持たずに船をこぐ”も、比喩的過ぎる表現で、あまり“歌詞”には似つかわしくない言葉の響きですけれど、このアルバムのタイトルチューンでもある“星が降る前に”という曲の歌詞は、当時家庭のトラブルや金銭的事情から大学を中退し、自らの進路に大きな迷いが生じていたこともあって、色々な意味で苦しみもがいていた気持ちを代わりに語ってくれているかのように思えて、尋常ではない感情移入をしてしまっておりました。

 

「星が降る前に」  作詞・作曲:八田雅弘

俺は人の海を 櫂も持たずに船をこぐ

悲しげでうす暗い 星が見つめてくれる街で

からみつく生活と 戦っているといつも

人生を降りた奴と 肩を並べそうになる

自分の星を信じながら 輝かせるすべも知らない

どこへ行くんだ俺のShip Light そして何を一人で待ってる

 

愛がすべての彼女 なぐさめ求めやってくる

みじめだぜ 抱き合いながら二人の明日を語るのは

投げやりな生き方を 選べなかった俺と

暮らしたがる彼女にも 心隠すわけがある

どこかで人を裏切りながら 傷つかないすべを探してる

何を求めて俺のShip Light そしてどこでさまよい待ってる

ああ星が降る前に たどりつきたい

ああ星が降る前に 俺を照らす答えに

 

たよりなくて風を 追いかけてしまった夜

傷口に手を当てれば もう殴り合いは終わってた

「淋しさの裏側をのぞいてろ」と誰かが 

教えてくれた日々は 遠く置き忘れて

心ヒリヒリ 痛めながら たどり着く朝の鈍さよ

くもり知らない頃のEye Light 今も胸に残っているか

ああ星が降る前に たどり着きたい

ああ星が降る前に 俺を照らす灯りに

ああいつも手の中に 握りしめたい

ああいつも手の中に 自分に負けない勇気を

星が降る前に 星が降る前に

 

 今も私の胸に、少しでも輝くEye Lightは、残っているでしょうか?

 

ちなみに当初のエントリーアップ時の直前に亡くなられた甲斐智枝美さんのご主人、長谷部徹さんがこのアルバムでドラムを叩いています。まったくの同世代だけに、皆さん現役を退いてしまっていることがちょっと寂しいですね。


 

星が降る前に

星が降る前に

 

 

 

初心。

更新が滞ってかなり経ちますが、現在はSo-netからの移行の最終仕上げで、ライブドアブログから画像とリンクの張替を行っています。でもこれがなかなかの作業量でして、ようやく半分終えたところ。なるべく早く片づけたいのですが、タクシーの仕事も相当ヘビーですので、終わりが見えません(泣)でも、そろそろ振り返りも始めなければ。 人生、いつまでも今まで通り続くとは限りませんから。

 私が消費者金融の現場で仕事をしていたのは、実はあまりありません。千葉の中堅消費者金融パブリックでも、メインは情報システムでしたし。

私はそもそも金融の仕事が大嫌いで、学生時代は「これだけはやりたくない仕事」の代表格が銀行をはじめとする金融業でした。 お金は汚いという先入観があったんですね。 そんな私を180度翻意させてくれたのが、千葉県貸金業協会で理事をなさっていた加瀬さん。 稲毛でクレセントリースという消費者金融を営む社長でした。

過去形なのは、既に亡くなってしまったからです。

加瀬さんに、私が在職中よく言われました。 「会社をあなたに引き継いで欲しい」と。

今の私なら、迷いなくお受け出来たでしょう。でも当時の私はまったく自信がなかった。 消費者金融を取り巻く環境が激変し、厳しいものになりましたけど、もし引き継いでいたら、まだ会社を存続出来たんじゃないかな?と思います。

 

思い出話は大概にして・・・

 

加瀬さんから、「あなたのこれまでの知識とその人柄は、この仕事にぴったりだ」そう、言われました。 正直、かなり悩みましたが、この言葉を信じて私は千葉県貸金業協会で、金融110番(多重債務者の返済相談や生活指導を無償で提供する業務)の主任担当者として勤務することとなったのが、消費者金融業界への入り口でした。

 

着任した1989年は、バブル前夜で消費者金融についての規制も、昭和58年度施行の改正貸金業規制法で上限金利が54.75%だった頃。 自己破産者も急激に増え、私の担当する「金融110番」相談電話への入電も、1日平均して100件を超える日が続きました。 もちろんほかにも貸金業の登録申請受付や県・大蔵省千葉財務事務所への登録申請業務などもありましたので、当時の私の仕事量はものすごいものでした。

 

土日は休みでしたが、朝9時から18時まではほぼ電話が鳴りっぱなし。その合間を縫って登録関連業務を行いましたので、過労で倒れ職場で救急車のお世話になったこともありました。

 

それでも、最初はあれほど嫌だった金融の仕事も、「誰もが汚いと嫌がる金融だけど、これで助かる人が何人もいる」事実を知って、これこそが天職だと、心から思うことが出来ました。

 

当時、私が債務整理で直接お会いし各業者との交渉を担当させていただいた方は、4年間で300人ほど。その中でも未だにお礼代わりに私宛に年賀状を下さる方も数名いらっしゃって、今の私の現状を考えると申し訳ない気持ちになることもあります。 本心を言うと、チャンスがあれば“庶民金融”を、私のこの手で復活させたいという思いは、未だに捨て切れていません。

 

政治の世界がどんなに汚いものであっても。

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めちゃくちゃ。

ご無沙汰しています。Facebookページの簡易な更新に流れて、ブログ放置が続いております。

しかし、これは放置出来ません。

環境省「除染廃棄物いっぱい出ちゃった!最終処分大変だから基準を80倍まで緩和して建築資材としてリサイクルするよ!」 | BUZZAP!(バザップ!)

 

東日本大震災での福島第一原子力発電所事故における、放射性廃棄物の処理の問題は、はっきり言って何も報道されていませんが、内情は処理しきれない大量の廃棄物をどうしよう・・・となっていることは容易に想像がつきます。
でも、これはないでしょう?

環境省が慌てて出した「100ベクレルと800ベクレルの違い」の説明文書が、いくら読んでも意味不明です。これ読んで納得出来たら、その人は自分の国語力を疑ったほうが良いかも知れませんというレベル。

https://www.env.go.jp/jishin/attach/waste_100-8000.pdf

 

これから新築されるマンションやビルには、もれなくこの放射性廃棄物がついてくる・・・と言っても過言ではないかも知れません。
だって、どれだけ大量の放射性廃棄物が出されたか、私たちには知る術がないですから。

 

 

FX

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