幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

私の高校野球。

前記事で、ずいぶん私のエントリーにご批判をいただきました。

正当な批判であれば甘んじてお受けしますが、中には心ない感情的で非常識なコメントも多く、なんだか本当に後味が悪いですね。

広陵の中井監督は、高野連から注意を受け正式に謝罪したようですが、45歳にもなって(私と同世代です)ずいぶんと大人げない行動だとの誹りを受けても、仕方の無い発言であったと私は思います。

私としては、これは学校教育の一環である高校の野球ですから、試合に勝利することがすべてではないと思うのです。それを審判の判定に云々言う(それで勝てなかったなどと主張すること)などと言う行為は、勝利至上主義の現れではないですか?
百歩譲ってどうしても審判の批判が生徒を納得させるために必要だと監督が判断するならば、マスコミの前ではなく生徒たちの前だけで「お前らは最高だ、野球では勝っていた」と言ってやれば良い事ではないですか?

判定に故意が紛れ込まない限り、たとえ意見の分かれる微妙な判定であっても、それも勝負のうちなのです。グラウンドで正々堂々とプレー出来ているだけ、まだマシではないですか?

私の母校では、マスコミに翻弄されグラウンド外で涙した野球部員がいました。

だからこそ今回のように、ストライク/ボール、どちらともとれるような微妙な判定を、試合後にマスコミに対してのみコメントして批判する、などと言う行為は、マスコミによって翻弄され、自分たちの努力の結晶をぶつける機会を奪われてしまった後輩たちを持つ身としては、とても許せるものではなかったのです。

http://johokan.net/Sports/HSbaseball/essay/narasino-sk.html

私も、昭和62年の天台球場で、亡くなられた生徒と苦しんだ3年生の気持ちを思い、涙した一人です。60年夏の突然の出場辞退、事実が伝わらないめちゃくちゃな興味本位のマスコミの報道・・・これが私のトラウマになっている、と言われれば、そうなのかも知れません。

むしろ、この大舞台を経験し、今後の人生の糧とする為にも、微妙な判定への悔しさは押し殺して、「自らが対戦し敗戦して行ったチームの為にも胸を張れ」と言うのが、本来の中井監督の役割ではないですか?それを、信用出来ないマスコミの前で、自分の悔しさをナインの気持ちを代弁するかのように打ち明けるなどと言う行動は、私には失礼ながら「正気の沙汰」とは思えませんでした。

またこのような発言で、終わった試合の結果を蒸し返すのは、勝者に対する尊敬の念を欠いています。まるで「誤審がなければうちの勝利だ」などと言っているようなものですから。指導者と言う立場の監督は自校のナインのみならず、佐賀北高校のナインにも配慮する責任があると思うのです。

この判定を批判し、映像での判定を行うシステムの導入が必要だとか、高野連の古い体質が問題だなど言う議論に結びつけてしまう考え方は、教育の一環である高校野球では私はなじまない、と考えます。
高校野球の目的は「勝利」ではないはずです。どのような結果になろうとも、その試合までに日々研鑽してきた事は、今後の人生の大切な糧となるはずです。大観衆の前でこれまでの練習の成果を遺憾なく発揮出来たのですから、この決勝に進んだ両校のナインは、素晴らしい経験が出来たと思います。それで、いいじゃあないですか。

最後になりますが、自分の意見と異なるからと言って、いきなり「あなた」呼ばわりしたり、何の事情も知らずに「素人」呼ばわりしたりする心ないコメントが多かった事が、私はとても残念です。自分と異なる意見の人に対して礼儀を欠いてしまい、匿名である事を良い事に言いたい事を言い逃げするような行為は、たとえ個人ブログであっても許される事ではないでしょう。