幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

そんなことって・・・。

今年、習高祭でもらってきた習友会名簿ですが、どうも箱と中身が違っていたようです。そう言えば一緒に配っていた記念品が創立50周年なのに、名簿が40周年記念というのもおかしな話ですよね(気付くの遅すぎ)

makuhari-windy.hatenablog.com

 はがきで「中身が40周年のものがあった可能性があるので、受け取った人は連絡が欲しい」と案内が来ました。はがきの案内通り、FAXで「40周年のですので取替えをお願いします」と送ったら、次の日に先輩から携帯に電話がかかって来ました。

「まーきん。さん、ごめんね。まさか渡したのがそうだったなんて思わなかったわ。」と。

すぐに50周年のものを配送手配してくれたようで、次の日には自宅に届きました。

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三冊揃っちゃった。

40周年では京都の住所だった私も、50周年ではしっかり“住所未確認者”の仲間入りです(笑)次に出る時は晴れて幕張の住所で掲載されることでしょう。

50周年名簿を見て、ショックだったことがあります。

実は、竜太郎のブログで、「その事実」は知ってはいたのですが、名簿上に“逝去”の文字を見た途端、文字が滲んでしまいました。。。二人が、都内でルームシェアをしていたことは聞いていましたし、竜太郎のブログを読んで、「まさか、ついこの前会ったばかりなのに・・・。」という思いばかりが先に立って、事実を認めたくなかったって言うのが本当のところです。

この同級生と会ったのは、息子と子供会の神輿を担いで幕張駅商店街を通っていた時に、彼から声を掛けてくれたのが最後になってしまいました。2004年の夏でした。彼が亡くなる1年前です。

彼は、幕張駅前の商店街にある不動産屋の店長をやっていました。私はそんなこと全然知りませんでしたので、その不動産屋の前を通った時に、急にどこからか「おーい、○○(私の本名)!」って聞き覚えのある声がしてものすごく驚いたことを今でも覚えています。

声の主を捜そうと、神輿を担ぎつつもきょろきょろしていると、彼の方から私に近づいて来てくれました。お互いに相応に年をとってはいるものの、偶然の再会でもはっきり分かるぐらい、高校時代の面影そのままの姿がそこにありました。

それが最後になるなんて、その時は思いもしませんでした。ブログを読んでから、こんなことなら地元にいるんだからもっと顔を出しておけば良かったと、本当に後悔しました。そんなことを思い出してしまって・・・。

そう言えばもう私も44歳です。病気で死んでも不自然ではない年です。実際、名簿にも彼以外にも逝去の文字を見かけます。高校卒業してもう26年、時間はどんどん過ぎていっているのですね。

私も、いつその時が来ても、後悔のないように、生きて行かなければ。先に逝ってしまった彼の分も、この世で遺せる物を作って行きたいと、思います。