幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

思い。

2009年、夏の高校野球千葉県大会が始まりました。

今年は息子も高校受験を控え、私の高校時代の経験を話す機会も増えて来ました。ついつい懐かしくなって、カセットテープに録音していたこのテープをデジタル化し、写真を付けてアップロードしてしまいました。

You Tubeでは時間が長すぎて却下(笑)されたので、ニコ動での投稿です。



このテープの当時は私も入部したばかり。。私は演奏ではバスドラムでの参加です。ソースがAMラジオなので、音質の悪さはお許しを。

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私の高校時代はとても恵まれていたと思います。

肘の障害が悪化するまでは吹奏楽部に所属し、コンクールにも定期演奏会にも出場出来ましたし、大分で行われた全国高等学校文化祭での招待演奏まで出場することが出来ました。

ブラスバンドを続けられなくなってからは生徒会の役員として過ごしましたが、市立高校としての特性を生かし友好都市の団体が訪れると懇談会を持って外国の方々とお会い出来たり、本当に色々な経験が出来たことで、とても充実した高校生活であったと、今振り返ってもありがたく思います。

反面、大学進学後に高校時代との「落差」を埋めることが出来ず、代返とコンパとレポートの大学生活に幻滅を感じ、学校へ行くのが嫌になるまで、さして時間はかかりませんでした。
高校時代に経験したことが充実し過ぎていたことが、かえって大学の中退に繋がってしまったのかも知れません。高校時代と比較すると、大学時代のそれが私には全て“格落ち”に感じられてしまいましたから・・・。

私の高校進学がもう30年以上前のことです。
今年は、息子の高校進学を真剣に考える時です。
進学先の選定にあたって、中々志望校を決められない息子に聞いて見ましたが「情報がないし、自分がどのレベルにいるか分かってる友達は居ない。だから、部活とかやりたいことのある子は決められるけど、それ以外の子は無理だよ」と言うのです。
私の頃と決定的に違うのは「偏差値」がまったく登場しないことです。

私の頃は日曜日に毎月行われる「東アチ」と呼ばれた全県一斉の学力テストで、県内中学3年生の中での偏差値が出され、学区で合格可能な高校が嫌でも表示されました。それで大体「俺ならこの程度の学校なんだ」と認識することが出来たのですよね。

それが今では、日教組のおかしな連中の序列への無駄なまでの排除の結果、中学3年生の夏休み直前になっても、「何処の高校へなら自分は入学出来るのだろう・・・」そんなことすら分からない状態へ陥っています。
頼りは校内の定期テストだけです。校内順位と得点だけで大体の偏差値を予想して、「ここだったら行けるかな?」と、予想するしかないのです。

息子は、何とか私のアドバイスもあって、初回の3者面談までに志望校をとりあえずは書くことが出来ました。
でも、それで本当に合格出来るのかは、まったく分かりません。

息子には「鶏口牛後」・・・自分の行ける一番学力の高い学校ではなく、色々なことが経験出来て生涯の友達となるような、そういう巡り合いのある学校を選びなさい・・・そう、伝えてあります。

入った高校で、その先進学出来る大学が大して変わる訳ではありません。

私は、習志野高校から國學院大學法学部第一部法律学科へ進みましたが、大学へ入学してから、私よりはるかに上の偏差値の高校へ進学した中学の同級生と、再び同級生になってしまったことを、息子に話しました。

「要は自分の入った学校の名前じゃない。そこで自分が何をするか、どう努力するかだ。」

それだけを伝えたかったのです。

息子が受験先を何処にするにせよ、しっかり自分の意思で決定して、その後の学生生活の充実へつなげて欲しいと、心からそう思います。