幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

支え。

タクシーの仕事をしながら、空車の時にはFMラジオを聴いているのですが、その中で現役の高校3年生が、両親の離婚に戸惑い進学を諦め、それでも自分の夢を追いたいのに現状に流されている自分が恥ずかしい・・・と言った内容の、電話相談を取り上げていたものを耳にしました。
この子は女性ですが、自立し生活費も自分でまかないながら、高校卒業後は自分の夢を追いたいと。
その姿に、私が大学生時代、学費と生活費に追われて中退してしまった過去が被り、思い出されてしまいました。でも、この女性と比べれば、タイミングは楽だったかも知れません。

学費を払ったとは言っても、私は大学入学時には親に入学金を払ってもらっています。入学してから家庭環境が激変してしまいました。両親の不仲(有体に言えば、父親が不貞をした上にお金を家に入れなくなってしまっていました)とそれを原因とした母の情緒不安定で、私は突然降りかかった生活費と学費の負担でアルバイトに追われ、元々それほど興味の持てなかった大学の授業に興味を完全に失うまでに、さほど時間はかかりませんでした。

すさんだ自宅へ帰るのも辛く、このラジオの女性が耐えかねてラジオで電話相談したものを、高々19歳の私がどうやって精神状態を維持していたのかなと、ふと考えましたら、これまでは辛さからでしょうか、自分の当時の記憶を完全に消し去っていたものが、何故かこの時すーっと思い出されました。

大学入学後しばらくしてから交際を始めた女性に、私は完全に精神的に依存していたのです。「帰りたくない」とこぼすと彼女は「あなたのお母さんには、今あなたが必要なの。帰って支えてあげて」と、諭してくれることも度々。

でも、私が我がままを言って彼女を困らせることの方が、多かった。彼女もまだ大学生。学校もある家にも帰らなければならない。予定を曲げても私と一緒に居てくれと、無理なお願いばかりしていました。その結果彼女も負担に耐えかねてしまって、別れることになってしまいました。私はまだまだ子供だったので、自立したお付き合いが出来ず、本当に彼女には迷惑をかけてしまいました。もしどこかで会うことが出来たら、感謝の気持ちだけでなく、謝りたい気持ちでいっぱいです。

この苦しかった時に私を支えてくれた人がもう一人。昨年4月に亡くなった伯父です。両親の不仲で収拾がつかなくなり、困り果てて真っ先に相談したのが、伯父でした。伯父は明番にも関わらず、能登から千葉まで飛んで来てくれました。

「お前らいい大人二人がしっかりせんもんやから、子供がこんなにしっかりしてしもうてて・・・。恥ずかしいと思え!」と。両親をいさめる伯父の言葉を聞きながら、私は本当に救われた思いがしました。

本当に追い込まれてしまった時には、必ず支えてくれる人がいました。今もそうでしょう。扱いの難しい、お金のかかる大学生を抱えた私の所に来てくれて、寄り添ってくれる妻がいます。焦りのあまり事業を失敗し、そこから脱しようとあがけばあがくほど落ちてしまって、自己破産まで追い込まれてしまいましたが、それでも離れずに居てくれます。

 

日々の生活に埋没しているつもりはないものの、やはり一度レールから外れた生活を立て直すのは容易ではありません。
一般的な判例とはかけ離れた不当な裁判の結果で負わされた借財に加え、そこから焦って早く脱しようとした結果、更に悪い結果を招いてしまい・・・。

タクシードライバーとして当面の生活の糧を得ながら、息子の学費負担に追われていますが、これもやはりお金に苦労して中退してしまった、自分の悔しい思いを息子にはさせたくないが為。


若い頃から睡眠時間も短く、身体を酷使して来ましたので今では障害のある左腕だけでなく、右腕も肩・肘・手首を痛め、仕事だけでなく日常生活にも支障が出て来ました。心臓にも肺にも、今は治まっていますが持病を抱えています。

それでも命まで取られた訳ではありません。今、自分が出来ること・可能なことに集中して、必ずこの苦しい状況は終わると信じて進みたいと思います。
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