幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

“男が女に払う慰謝料”って。

毎度毎度の日経ビジネスオンラインから。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20060710/105975/

遥洋子さんと言うタレントの執筆している“男の勘違い、女のすれ違い”というコラムです。内容的には社会における男女間の不平等問題を、このタレントなりの視点で指摘しているものですが、今回の内容ばかりはちょっと黙っていられませんでした。

そもそも男女平等って、私は嫌いな言葉です。第一に、平等って考える必要があること自体が、おかしいです。

それに、この“男女平等”に秘められた意味として、「すべてを同じように扱う」ということが平等と思われていることが、おかしいです。

この世の中に、平等なんてある訳ないです。はっきり言って、平等なんて、偽善者・苦労知らずのワガママ人間の持ち出した言葉です。人間社会って、老若男女、背の高い低い、太っているやせている、人種の違いなど色んな違いがあるから成り立っています。みんな平等で同じ人ばかりだったら、人間の社会なんて崩壊します。

みんなが社会に出てホワイトカラーとして働きたい。男女平等だから良いでしょう?とでも言いたいのでしょうか?ブルーカラー農林水産業従事者みたいな世界には、“男女平等”を唱えておられる方々は目を向けようとしませんね。何故でしょうか?男女平等でしょう?ブルーカラーだろうが肉体労働だろうが、誰かがやらなきゃ社会は成立しないんですよ。こういう3K職種の仕事は男性に任せて、育児も適当に男性に分担させて、自分は綺麗なオフィスでデスクワークだけですかそうですか。

「妊娠という傍から見ればめでたい出来事でも、当事者が「なんで私だけが」という思いなら、育児に段階が進んでも、残業を理由に保育所に迎えに行けない夫や、出張を理由に家を離れる夫のすべてが、「なんで私だけが」という感情を呼んだって不思議ではない。だとすると母になった女性が重ね持つある種の恐さとは、それは、怒っているから、という結論になる。」

その上に出産まで男にさせようとなさっている。(生物学的に無理だからそれ自体が不公平だと言っておられるのですが)

「妊娠というめでたい出来事が、向上心の強い女性にとっては、男女平等の挫折にしかならないことはやはり嘆かわしい。 」

妊娠から出産は、確かに女性にだけ課せられた生物学的機能の一つです。でも、それが本当に大変なんでしょうか?

生物学的には女性は妊娠から出産に耐えられるよう、ホルモンのバランスから体の仕組み・構造まで、男の体とは段違いなほどストレスに耐えられるように創られています。それは生命・種族の保護の為に生物学的に宿命付けられたもので、本質的には男女平等を論ずる対象にするには極めて不適当な問題です。

「女性には私はシングルマザーを勧める。目の前に能天気な夫さえちらつかなければ、苛立つ対象自体がないということだから。」

このコラムは本当に、一体何が言いたいのでしょうか?何処まで自己中になれば気が済むのでしょうか?男と女が、すべて同じことは出来ません。何故なら“男”“女”として、根っこがそもそも違うから、平等になんかなれる訳がありません。私はこういった男女平等論って、そもそもお互いが自分勝手な主張に明け暮れていて、信頼しあえていないからこそ出て来るんだと思うんですね。

本当に必要なのは、男性と女性とが、互いの役割と個性とを認め合って、お互いに役割を分担していくことじゃないかと思うんです。何から何まで同じことをやるんではなく、違いを認めてその個性を尊重し合うこと、そしてお互いの性を尊敬しあうことこそが、大切だと思うんです。

以前の私のエントリーでも少し触れましたが、子育てにおいて男親と女親の役目は絶対的に異なります。生物学的に成人するだけなら片親でも充分です。必要な経費だけ得られて、物理的に育てることはそう難しくはありません。ただ、一人前の人間に育てるには、男親と女親の存在が不可欠です。(仮に片親で育てられても、いないほうの親の存在を精神的に感じられれば同じですが)でも、それも男親・女親が互いの立場を尊重し信頼し合えばこそ言えることです。単に形式だけ男親・女親が揃えばいいと言う訳ではありません。そこに必要なのは、“母性”と“父性”なのですから。

遥さん、ここまでおっしゃるなら、まずご自身で出産・育児をご経験されてからが良いかと。私の申し上げたことが、少しはお分かりになるかと。

シングルファーザー経験者として申し上げます。

追伸(7月15日)

私のコメントが日経ビジネスオンラインに記載されました。以下に転記します。

行き過ぎた男女平等、「何事も平等」という言葉が、不自然に独り歩きした結果ですね。「何故私だけが」妊娠するのか?なんて考える思考回路のなんと浅ましいことよ。そんなことを考えるなら、仕事の前に人間をお辞めなさい、と言いたい。人には地位・立場・性別・年齢などさまざまな“果たすべき責務”があるはず。自分のやりたいことの邪魔になるから子供は要らない、というのは、現代社会の我侭の典型だ。父であり母であることを放棄してまで、営利追求の手先となることに何の価値があるというのだ。