ここのところ世界史の履修漏れ問題がクローズアップされていますが、ことは世界史だけに限ったことではありません。そもそも“ゆとり教育”などと称して何も考えずにカリキュラムを大幅に削減した段階で、こうなることは目に見えていましたから、何を今更って気がしないでもありません。
ゆとり教育が導入されたのは、受験戦争で勉強に追い立てられる子供たちに、子供らしい時間を持たせるため・・・とか何とか言ってましたよね、確か。これを導入した当時の文部省の官僚殿は、ゆとり教育の導入の功労者として花道を飾ってご勇退されたとか。
官僚の考えることなんて、机上の空論というか、現実のコアになる部分に目を向けていないから、この学習指導要領に限らず何でも大なり小なりこんな形になりますよね。ただ、導入する張本人は、評価が確定する頃には退官していたり、部署が変わっていたりで、責任取らされることは無いですから、そんなこともこういう無責任な施策を助長しているのではないでしょうか?
なんでも、学校教育で学ぶ知識の総量は、1976年当時と比較すると半分に減っているそうですね。
日経BPnet 立花隆の「メディア-ソシオ ポリティクス」
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/061101_yutori/index.html
何だかこれ読んでいて、とても暗い気持ちになりました。ゆとり教育なんていい加減なこと考えた奴は、今すぐここへ出てきて全責任を取って腹を切れって、言いたい気分です。
そのくらい、ことの弊害は大きいですよ。
学校で教わる量が足りなくなれば、受験を勝ち抜けないから、不足する知識を塾や予備校で補う。
親たちは学校に期待しなくなるから、学校の授業のレベルが量だけでなく質の面でも低下してゆく。
塾や予備校で教えるのは、本当の意味での教育なんかではなく、あくまで受験用のテクニックだから、知識でも何でも無いので人格形成にも役立たないばかりか、一般常識的知識を得る機会にもなり得ない。
うちの息子を見ていて、「何でこいつ新しいこと知ろうと思わないんだろう」って、疑問に思うことが多かったんですね。本人にも「お前、自分の知らないことや分からないことが初めて分かった時って、興味持たないのか?」って何度も聞きますけど、「別に」とか「そうでもないよ」なんて、気の無い返事ばっかりです。
学校で質の高い知識を教わらないから、知識欲・学習意欲そのものを欠落させる・あるいは成長させないんでしょうね。
自分を磨くこと・発展させたいって思わなくなった人間は、人間じゃないですよ。唯の生命体に過ぎない、と私は思います。
今の教育体制では、そんな“生命体の増産”しかしてないんでしょうね。
日本の将来暗すぎですよ。