私の母校、習志野高校で野球部エース、そして監督として2回の全国制覇の経験をした石井好博氏が、亡くなりました。
石井先生とは、私の習志野高校在校時には1年生で地理を教えていただきましたが、何故か私は授業中に良く「指名」されていました。
石井先生は当時授業では野球部の生徒ばかり指名したそうなのですが、たまたま私のクラスには野球部の生徒が少なかったこともあったのでしょう。野球部員の生徒からは「このクラスはお前が良く指されるから助かるよ」なんて言われていましたっけ。
石井先生の授業はスピード感があって、時折甲子園での思い出話なども盛り込んで、聞いている生徒に飽きさせることがない内容でした。私自身、ちょっとスリリングな感じもある石井先生の授業は楽しみにしていたので、時間が経つのも早かったように記憶しています。
私が3年生の時には、こんなこともありました。体育の授業でソフトボールの試合を行っている時です。
当時はたとえ体育の授業でも、運動系の部活に入っている生徒と、それ以外の生徒では正直「レベルが違う」ので、ソフトボールも試合をやるときには運動系の部活の生徒(いわゆる1軍)と、それ以外の生徒と別れて試合をしていました。
私は当然2軍(笑)なのですが、その試合を通りがかりに見かけた石井先生から、私は声をかけられました。
私は打席に入るときは、右利きですが左肘の障害があったので右打席でバットをきちんと振ることが出来ません。そのため体育の授業で行われる試合でも、左打席に入って右腕1本でバットを振り、流し打ちをするということを、しておりました。
石井先生から「おい、大西、ちょっと来い」と言われて先生の近くに行きましたが、先生から言われたのが「お前、右利きだろう?なんで左打席に入っているんだ?」と、聞かれたのです。
こんなことも気づくんだ、すごいなとは思いましたが、私は自分の左肘の手術の傷跡を見せて「自分は、左腕が動かなくてバットが両腕で触れないので、右腕1本でも振れる左打席に入っています」と、答えました。
すると石井先生はちょっと間をおいてから「そうか、残念だな」と、言ってくれたのです。
その言葉の真意が何だったのかは、今では確かめることも出来ませんが、私は野球も音楽も諦めることになったこの左肘の障害で、悔しい思いしかしたことはありませんが、この先生の一言は、本当に救われたのです。
右腕1本でも器用に流し打ちでヒットを打ったこともあったのかも知れませんが、これだけ「野球」を極めている方から、「残念」だと言ってもらえたことが、嬉しかったのです。
石井先生とは、その後幕張メッセのホテルで行われた習志野高校の50周年記念の式典でお会いしたきりでした。
亡くなられた年齢は、今で言えばちょっと早めかも知れません。もしかしたらこのコロナ禍でのワクチン接種なども悪い影響を与えた可能性も否定できません。
機会があったら、また石井先生にご挨拶できれば・・・・などとも考えていましたが、もう叶わぬ夢になってしまいました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
石井先生、本当にありがとうございました。