今朝は「今日は1日テストだって」と言って、息子が出掛けました。
実は、このテストをやる日だったのですね。
文部科学省 全国学力・学習状況調査の概要について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/zenkoku/07032809.htm
平成20年度の結果はこちら。
国立教育政策研究所 平成20年度全国学力・学習状況調査 調査結果について
http://www.nier.go.jp/08chousakekka/index.htm
国立教育政策研究所の調査結果のポイントというPDFファイルをご覧いただくとご理解いただけると思うのですが、このテストは個別の生徒の学力を測定するものではなく、全国一律のテストを行うことによって地域ごとの学力・授業進行度合いを測り、教育施策・制度上の問題点がないかどうかを検証する為のものです。
そういった目的の、全国学力・学習状況調査を、「テスト=序列化」という、短絡的発想で反発している方々がいらっしゃいます。
何を隠そう、日本の教育レベルの低下の元凶と言われる、こちらの方々です。
学力保障に懸念の声=全国学テへの批判相次ぐ-教研集会
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200902/2009022200136&rel=j&g=soc
教研集会、広島で開幕=順位重視を批判-日教組
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200902/2009022100130&rel=j&g=soc
テストをやると、それが落ちこぼれの切り捨てにつながって、すべての子供への教育保証が出来ない・・・という所に直結させる、想像力の豊かさには敬服致しますが、それではこの方々は、本当のこのテストの目的を理解なさっておられるかと言うと、甚だ疑問が残ります。
と、言うよりもこのテストの目的が達せられると、将来的に教職員の評価制度に繋がるという懸念を持っていて、それをカムフラージュする為の反対主張・・・という見方も、出来ないではありません。
上記リンク先をご覧いただくとお分かりになると思いますが、これはあくまで同じ内容のテストを全国一律で実施し、教育レベルの地域格差を解消する為の施策を検討する資料として、使われるものです。
だから、個別の生徒名は不要だとか、プライバシー権の侵害だとかまたまたこの組織の方々は豊かな想像力を如何なく発揮なさっておられるのですが、批判の根拠となる事実の検証があまりに稚拙で、“まず批判ありき”でしか考えていないと言われても、やむを得ない言動でしょう。
しかもこの組織が、教育の府たる学校の先生方の団体だというのですから、自らの職務を自らが放棄するようなものでしょう。
現在の学習指導要綱というものも、今となっては悪名高い「ゆとり教育」の弊害で日本の児童・生徒の学力が他の国々と比較しても相当低下した元凶という見方が、最近ではようやく定着しつつあります。
そのゆとり指導要領ですら授業に着いて行けない生徒が、この統一テストで“切り捨て”されるそうですが、どうやってテストで切り捨て出来ると言うのでしょうか?
私に言わせれば、「授業に着いて来れない」というのも程度の問題で、本当に真剣に聞いていて授業の内容を理解出来ない子供は、ほとんど居ないと思うのです。
問題はその授業の運営方法(つまりは教員の能力)にあり、決してテスト実施では無いように思うのですが。
自分たちの授業の進行能力を棚に上げ、教員免許の有効期間設定に反発してみたりする人たちに、このテストを批判する資格はあるのでしょうか?
生徒の人権やプライバシーを楯に、自分達への評価制度導入へ繋がる施策を妨害しようという主張であるとしたら、それこそ何か“つける薬”が必要です。
私の大好きなジョン・レノンで、“Crippled Inside”という曲がありますが、こういう方々を見るにつけ、ついついこのフレーズが頭をよぎってしまいます。
You can shine your shoes and wear a suit
You can comb your hair and look quite cute
You can hide your face behind a smile
One thing you cant hide
Is when youre crippled inside
対訳:By まーきん。
君は自分の靴を磨いて スーツを着込んで
髪の毛をくしで梳かして見栄え良くすることが出来る
作り笑いの下に本心を隠す事だって出来る
でもひとつだけ隠せないものがあるのさ
それは、君の心が不具(=障害がある様)の時
隠した本心がある時は、どうしても主義主張に偏りが出るんですけれど・・・。
偏っている人たちには、分からないのかも知れません。
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