幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

日向の風。

8月14日、私が中学2年生の1年間を過ごした中学校、宮崎県児湯郡新富町立富田(とんだ)中学校の、昭和54年卒業同窓会、行って来ました。

14日朝、セニック号で羽田空港を目指しました。空港のP3へ駐車し、搭乗手続きへ急いだのは良いですが、飛行機に乗るのが本当に久しぶりなので何から何まで物珍しい(笑)

仕事ではないのでスーツもパソコンも要らないし、友達の実家に1泊させてもらうだけなので、以前に“カーグラTV”の番組プレゼントでもらったルノーのデイパック1個で出かけましたが、手荷物は金属探知機に反応するものは全てトレーに乗せ換えて通すんですね。荷物の中から携帯電話・小銭入れ、ウォークマンを慌てて取り出し無事通過・・・出来ず(笑)

私はなんと間抜けなことに、腕時計をしたままゲートを通り、思いっきり反応されてしまいました。でも中学生の時に、左肘関節に残された骨を固定する金属に反応されて中々通過出来なかったことを思い出せば、金属探知機の精度も上がったものですよね。

無事、手荷物検査を終えてから搭乗までの間、何だか飛行機を写真に撮りたくなって、思わず座った場所から携帯で写真を撮っちゃいました。どうせ撮るならもうちょっとアングルとか考えれば良いのに・・・(笑)

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私は、このブログで書いたことがあるかどうか記憶はないですけど、大の飛行機嫌いなのです。あんな鉄の固まりが空を飛ぶことが、理屈では理解出来ても体が認めないのです(大笑)。ですから出張も、新幹線で行ける所は極力新幹線で移動をしたがるので、以前会社の人に怒られました。東京⇔博多の日帰りを往復のぞみ(当時)で希望を出したものですから・・・。

やっぱり今回も、飛行機が離陸するまでは心臓の鼓動が早くなっていけません。手のひらには冷や汗かいているし、本当に困ったものです。いい加減、飛行機は大丈夫・・・って体で理解してくれないものでしょうか・・・。

宮崎空港では今回私を誘ってくれた友達が、到着を待っていてくれました。彼と会うのも彼の結婚披露宴で私が鹿児島を訪れた1992年以来ですから、16年ぶり!「頭薄くなった、腹が出た」で、最近は年賀状も家族ではなく子供の写真だけになっていたので、「どんなおっさんが出て来るやら(笑)」とお互いに考えていたのですけど、お互いに一発ヒット!

16年ぶりとは言っても、その時に既に30歳近かった訳ですから、それほどの変化はなし!って事ですよね。

それにしても宮崎の日差しは強かった!体感的な暑さは、むしろ東京都内のほうが暑苦しい(この表現がまことにぴたっと来ます)ぐらいで、カラッと暑い宮崎は、日差しが強く感じるだけでそんなに“暑い”実感はなかったです。

飛行機がANAの603便、出発時に機内整備で出発が遅れ11時25分に宮崎へ着きましたが、まずは何か食べよう!と言うことで、友達の提案で宮崎名物の“チキン南蛮”を食べに向かいました。

インターネットで検索するとホームページがあるここは、おぐらチェーンの中でも延岡方面だけのチェーンですね。私と友達が最初に向かったお店はホームページがなく、個人の方のページで紹介されていました。(jochenさん、リンクご許可ありがとうございました)

おぐら 瀬頭店「宮崎市瀬頭2-2-23」
http://enenen22.hp.infoseek.co.jp/eat0ogurase2.htm
(とっても美味しそうな画像が表示されるので、よだれ注意!)

でも、ここは他県ナンバーのクルマで溢れ、表通りまで駐車場待ちでした。そこで、佐土原のお店へ向かうことにしました。

おぐら 佐土原店「宮崎市佐土原町下田島7601 」
http://www.geocities.jp/kamome512000/eat0ogurasa.htm

自分で写真を撮れば良かったですね。空腹に負けて、撮るより先に食べちゃいました(笑)

おぐら 佐土原店



店内は昭和40年代にタイムスリップしたかのような、ずーっと変わらない雰囲気なのでしょう。お昼時と言うのもあるのでしょうが、店内は広いので満席では無いのですが、4組ぐらい先客がいらっしゃいました。要はお店が広すぎるのと、“宮崎時間”で店員さんが動いている関係で、店内に案内されてからメニューが出て来るまで、そしてオーダーしてから出て来るまでの時間が、「とってもゆっくり」(笑)これも「宮崎だなあ」と、妙な感慨に浸りながらチキン南蛮を食べましたけど、美味しいですよ!

ネットで検索しましたら、JR九州で“お取り寄せ”も出来るようですので、ご興味のある方はいかがでしょうか?
http://item.rakuten.co.jp/jrk-shoji/10000513/

お客様の声も出ていますので、お取り寄せされた後はご参考になさった方が良いかも知れません。レンジでチン!でも食べられるようですが、解凍してから揚げなおしたほうが美味しいという方もいらっしゃるので、たぶんその方が私も美味しいと思います。私も買おうかな?(笑)


おなかも満たされたので、後は友達の家へ向かうだけです。帰り道に私の住んでいた自衛隊の官舎跡地と、通っていた富田中学校を回りました。やはりいくら田舎とは言え、30年の月日はいかんせん長いです。通学路だった県道(306号)も区画整理ですっかり道幅が拡がり、当時の面影はまったくありません。ただ、中学校は当時のままの校舎でまだ残っていたので、何とも言えず暖かいものが胸の中に湧き上がって来ました。

富田中学校 ホームページ http://www.miyazaki-c.ed.jp/shintomi-tonda-j/

ずーっと転校・引越しで過ごして来ましたので、過去とのつながりがまったくない私としては、こういう記憶の片隅に残った情景が、目の前に再び拡がると言う経験が殆ど出来ません。こういうのも、良い物ですね。

友達の実家は、私の住んでいた官舎と中学校のちょうど中間にあったので、時々学校帰りに寄らせてもらっていました。でも、件の区画整理で当時の家の面影は、残念ながら残っていませんでした。荷物を置かせてもらって、一息つきましたが同窓会は夕方5時から。。。まだ時間があるので、町内にある、故・竹下元首相の遺物「ふるさと創世」事業で出来た新富温泉へ、二人で出かけました。

こういう施設は日本全国にかなりの数があると聞いていましたが、自分で行くのは初めてです。私の実家のある、石川県鹿島郡鹿西町(当時)でもなにかやったはずなのですが、何でしたっけ?(笑)よく考えると何の為の施策なのか、分かりませんね。現在首都圏に暮らしている私から見れば、「何たる税金の無駄遣い!」と腹立たしくなって来ます。

温泉自体は町内の人も町外の人も同じ1回500円の入湯料です。タオルの貸し出しは別途料金になるので、地元の人はみんな持参です。第一、地元の人間以外この施設には行かないでしょう。泉質は海も近いこともあるので少し塩分が入っているのでしょうね。毎日入れば肌の健康には良いと思いますよ。

なんと、この新富温泉、立派なホームページまでありました!
http://www.shintomi-onsen.com/
こういうところも運営は民営化されるのが、最近の流れなのですね。この「サン・ルピナス」も町の商業共同組合での運営でした。


一風呂浴びてさっぱりしてから、同窓会の会場「べにはな 高鍋店」へ移動しました。友達の親父さんに送ってもらい、17時ちょうどに到着。
卒業生は全員で120名ちょっと・・・参加者は50名弱でしたので、卒業30年経過した同窓会にしては、まあまあの出席率ではないでしょうか?

私は、参加はしましたけど富田中を“卒業”した訳ではありません。たまたま学年の同窓会になったので、友達に誘われたまでです。2年生の1年だけ、しかも卒業もしていない私を、果たして何人が覚えていてくれるか、正直不安な部分はありました。

会場に入って見ると、おじさん・おばさんばっかり!(笑)当たり前です!私も立派なおじさんですから。。。みんな太っている体格が良くなってるし、頭が薄くなってきたさっぱりしているし、頭の中に残った顔が子供のままの状態では、やっぱり分かる人と分からない人がありますね。

それでも、数名の人には「まーきん。さん、よー来たね、卒業した訳じゃなかとでしょ?」と覚えていて声を掛けてもらえて、嬉しかったです。

私のイメージは、と尋ねると「転校して来て、腕にギプス巻いてて、お坊ちゃま風」だそう(笑)最後は違うぞ!確かにお坊ちゃま風かも知れんが、断固として違う!(笑)
でも、「ギプス」には参りました。別エントリー「骨折。」http://makuhari-windy.blog.so-net.ne.jp/2007-03-31-2でも触れましたが、私の左腕を救ってくれたのは宮崎の人たちなのです。
2年生の始めに転校してきて、夏休みには手術してそれから転校直前までずっと左腕にはギプスが巻かれていましたから、言われてみると私はギプスを巻いていたイメージしかなくて当然なのです。

参考:ギプスお坊ちゃま(笑)
そんなにお坊ちゃま風かなあ?

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ちなみにこの写真は2年の修学旅行で関門海峡で撮ったものです。撮影者は勿論、私と30年も“文通”していた彼です(笑)このバスの左後で写真を撮られている男の子も、今回出席。彼も私を覚えていてくれました(喜)

そんな訳ですから、遠路はるばる飛行機にまで乗って、中学2年の一年間しか住んだことのない町へ、何で来てくれたの?という質問を、何人もの人に、聞かれました。

「それはこいつ(私の友人)とずっと連絡とりあっちょったからよ。」「連絡って、どうやってしよったと?」「手紙やね」「なーに、お前ら男同士で30何年も文通しよったと!?そりゃあ、変じゃが、気持ちわるかぁ」・・・そう言われると、確かに気持ち悪い(大笑)

ずっと付き合いが続いている友人が居た・・・というのが一番の理由でしょう。でも本当は、私の転校だらけの学校生活の中で、唯一いじめられた経験がないのが、ここ新富町だったのです。皆があたたかく、お互いの存在を尊重しあっている、そういう友人関係が、とても強い街でした。それが私の深層心理に焼きついて離れなかったのでしょう。

当時の宮崎で、嫌な想い出はひとつも無いのですから。途中でとても辛い手術をしたというのに・・・。

この日は、3次会まで付き合いました。どれだけ飲んだか分かりませんけど、過去の時間を共有した仲間と言うのは、何とも心強いですね。

この同窓会でも、幹事を交代で皆が務めているのですが、残念ながら音信普通の人も何人かいるそうです。実家が事業失敗して、夜逃げしていなくなった人、大学受験に何度も失敗して、最後に東京の私学へ通った以降連絡の途絶え人・・・。
今、どんな環境に居たって良いじゃないですか。色んな人生、人それぞれ違って当然です。そんな中でも、心を開いて話すことの出来る仲間との時間を、大切だと思える自分で、いつまでもあり続けたいですね。

切通官舎



翌日は都農のワイナリー、そして都農神社を参拝した後、友人の実家の食堂でお昼をいただいてから、帰途に着きました。

都農ワイナリーから、日向灘を望む

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都農神社 本殿は新築されたばかりで、木のいい香りが満ちていました。

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羽田空港・・・着陸後、バスでターミナルへ行く途中です。何となく物悲しく見えるのは、何故でしょう・・・

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長い長いエントリー、それもこんな私的なエントリーに、最後までお付き合いいただきありがとうございました。