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幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

初心。

更新が滞ってかなり経ちますが、現在はSo-netからの移行の最終仕上げで、ライブドアブログから画像とリンクの張替を行っています。でもこれがなかなかの作業量でして、ようやく半分終えたところ。なるべく早く片づけたいのですが、タクシーの仕事も相当ヘビーですので、終わりが見えません(泣)でも、そろそろ振り返りも始めなければ。 人生、いつまでも今まで通り続くとは限りませんから。

 私が消費者金融の現場で仕事をしていたのは、実はあまりありません。千葉の中堅消費者金融パブリックでも、メインは情報システムでしたし。

私はそもそも金融の仕事が大嫌いで、学生時代は「これだけはやりたくない仕事」の代表格が銀行をはじめとする金融業でした。 お金は汚いという先入観があったんですね。 そんな私を180度翻意させてくれたのが、千葉県貸金業協会で理事をなさっていた加瀬さん。 稲毛でクレセントリースという消費者金融を営む社長でした。

過去形なのは、既に亡くなってしまったからです。

加瀬さんに、私が在職中よく言われました。 「会社をあなたに引き継いで欲しい」と。

今の私なら、迷いなくお受け出来たでしょう。でも当時の私はまったく自信がなかった。 消費者金融を取り巻く環境が激変し、厳しいものになりましたけど、もし引き継いでいたら、まだ会社を存続出来たんじゃないかな?と思います。

 

思い出話は大概にして・・・

 

加瀬さんから、「あなたのこれまでの知識とその人柄は、この仕事にぴったりだ」そう、言われました。 正直、かなり悩みましたが、この言葉を信じて私は千葉県貸金業協会で、金融110番(多重債務者の返済相談や生活指導を無償で提供する業務)の主任担当者として勤務することとなったのが、消費者金融業界への入り口でした。

 

着任した1989年は、バブル前夜で消費者金融についての規制も、昭和58年度施行の改正貸金業規制法で上限金利が54.75%だった頃。 自己破産者も急激に増え、私の担当する「金融110番」相談電話への入電も、1日平均して100件を超える日が続きました。 もちろんほかにも貸金業の登録申請受付や県・大蔵省千葉財務事務所への登録申請業務などもありましたので、当時の私の仕事量はものすごいものでした。

 

土日は休みでしたが、朝9時から18時まではほぼ電話が鳴りっぱなし。その合間を縫って登録関連業務を行いましたので、過労で倒れ職場で救急車のお世話になったこともありました。

 

それでも、最初はあれほど嫌だった金融の仕事も、「誰もが汚いと嫌がる金融だけど、これで助かる人が何人もいる」事実を知って、これこそが天職だと、心から思うことが出来ました。

 

当時、私が債務整理で直接お会いし各業者との交渉を担当させていただいた方は、4年間で300人ほど。その中でも未だにお礼代わりに私宛に年賀状を下さる方も数名いらっしゃって、今の私の現状を考えると申し訳ない気持ちになることもあります。 本心を言うと、チャンスがあれば“庶民金融”を、私のこの手で復活させたいという思いは、未だに捨て切れていません。

 

政治の世界がどんなに汚いものであっても。

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