幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

大学病院のウラは墓場。

ずいぶん物騒なタイトルですが同名の、幻冬舎新書から昨年11月に出版された、久坂部 羊(くさかべ よう)さん執筆になる本を、読みました。

大学病院のウラは墓場―医学部が患者を殺す

大学病院のウラは墓場―医学部が患者を殺す

  • 作者: 久坂部 羊
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2006/11
  • メディア: 新書

ショッキングなタイトルに負けないくらい、内容もかなりのレベルでショッキングなものでした。

私は、子供の頃一番になりたかった仕事というのが“医者”でした。自分が左腕の骨折から親の受診時の選択ミスで左腕の自由が利かなくなり、現在も半分麻痺してしまっていることもありますが、医療と比較的近いところにずーっと過して来たため、漠然とではありますが医師として病気で困っている人の役に立ちたい・・・そんな気持ちを持ち続けていました。

おそらく、私の目に色覚異常がなければ、今頃はどこかで間違いなく医師になっていたと思うほど、医師への憧れは強かったです。

とは言え、現実に過ごして来た世界から見た医療の現場と、実際の医療を取り巻く現実とはかなりの乖離があるとは認識していました。憧れだけでは人の命を預かる仕事は出来ないな、と。

この本は、大学病院を取り巻く環境の変化が引き起こした、現代日本の医療の問題点を指摘する本です。

従前の大学病院を支えていた医局という名の大学病院の教授を頂点としたヒエラルキーが、医療費の明確化の大義名分の下に、各公立病院の独立法人化(単独で採算を取れる状態へ持っていく)で崩壊の一途を辿り、そのことが医師の地域間格差を増大して行ったこと、マスコミによる医療過誤の過大な報道が医師の萎縮を呼び、イメージよりもはるかにきつく、辛く、報われない科の医師志望者の減少を招いていること、患者が常に最良の医療を望むこともかえって医師の技術向上の妨げになること・・・この本で指摘されている内容は、ただ漫然と「医師の世界はしっかりやってくれている」というイメージを持っていた私にとって、読み進めることが驚きの連続でした。

病気には二種類あること、すなわち現在の医学で治療出来る物と出来ないものの二つがあり、これの解決の為には患者も、自分だけ最高の医療を求めるのでなく、ある程度今後の医学への貢献を考慮して病院を受診する心構えも必要ですね。奇麗事ではなく、もし私が現代医療で治療できない病気にかかったときは、喜んで実験台を買って出ますよ。どっちにしても死ぬのなら、誰かの役に立ったほうが本望です。

医療には研究と臨床の二つの側面があること、これが今までは大学病院では研究に重きを置いて臨床(いわゆる治療)よりも研究に軸足を置けたのですが、小泉改革で聖域がなくなったのは大学病院も同じで、病院にも経営を求められると、治療点数やら患者の満足度やらが評価対象に必要になって、研究まで手が回らなくなる、という悪循環を招いているそうです。ここでも余計なことをしている小泉前総理ですね。

それと、最近は立派な設備・検査機器を備えた病院があっちこっちに出来ています。これもやたらに設備があるものだから、投下したコストを回収するために「念の為に」という無駄な検査が横行し、健保の崩壊の遠因ともなっているようです。更には、設備の分散によって患者も分散し、一つの病院で経験できる症例や患者の数が減ることによって医師の習熟度が落ちている、という結果も招いているとのこと。

表現や言い回しは、件の“機械発言”に匹敵するくらい誤解を招きかねないものが多いでしょう。しかし、素直に文脈を理解すれば、どれも至極正論で、納得の出来る内容が書かれています。

医師となる人だけではなく、病院にかかる人も、自分のエゴだけ押し通さないで、日本の医療の将来を考えて行かなければなりませんね。

私がこの本を購入したときはAmazonでは在庫が無く、会社近くの五反田「あゆみBOOKS」で買いました。今はAmazonにも入ったようです。ご興味のある方はぜひ、お勧めです。