地下鉄に乗って。
浅田次郎さんの作品を読むのは、実はこれが初めてでした。
きっかけは、GyaO!に流れる広告。バックに流れるSalyu(サリュー、と読むのでしょうか?)さんの「プラットフォーム」という主題歌が耳に残って離れず、公式サイトを覗いてしまいました。
私は、映画館へ映画を見に行くと、乗り物酔いみたいに酔ってしまうので、原作本をとりあえず読むことにして文庫本を買いました。読み始めは「単なるタイムスリップを題材にしたストーリーだろう」くらいの軽い気持ちでした。しかしそのタイムスリップも、階段を上って表へ出れば過去の時間が存在するのに、引き返すと現代の時間が流れていると言う、読み始める前の予想に反した不思議な描写で、気が付いたら自分が主人公の真次に置き換わってしまったような錯覚を覚え、知らぬ間にストーリーの中に引き込まれてしまいました。
地下鉄って、入り口の階段を下りていってホームに近づくと、なんとも言えぬ生暖かさと、独特の“におい”がありますよね。いいにおいではないですけど、不思議な安堵感を与えてくれる独特のにおいですが、読み進むにつれて地下鉄に居る訳でも無いのに、あのにおいが鼻に残っているような、そんな気分になりました。これが映画になると、どういう感覚になるのでしょうか?
地下鉄を出る毎に訪れる時代で、父親の過去に触れていくに連れ(最初はその男が父であることすら気づきませんが)、似ているが故に反目しあう父と息子の間を、地下鉄の暖かさが繋いでいくような、そんな物語です。自らの“知らなければならない過去”を知らされる為に、幽体離脱でもしているような時間遊泳を繰り返して、忌み嫌っていた父親の人生に徐々に触れていくことで、父の立場や感情も理解しますが、血縁故、でしょうか?家族の絆と愛情、そして家族であるが故の憎しみ・・・憎み嫌ってきた父の行動が理解は出来ても、それでも和解出来ない血縁の重み。時を遡っても変えられなかった真次の兄の運命は、母の取り返しのつかない一言が原因であったこと、遡って自らの手で、愛するが故に選んだ結末と・・・。真次とみち子の運命は、一つの糸で繋がり、そして想像もつかない結末を迎えますが二人の運命を分けたのは「家族の存在」であるように、思いました。真次のコートのポケットに残されたルビーの指輪・・・。たった一つこの世に残った、みち子の思いなのでしょうか?
これがハリウッド映画なら、過去を知って親子和解して、恋人ともハッピーエンド、になるのでしょうが、浅田ワールドは想像もつかないエンディングを用意していました。ともすれば絶望し投げやりになってしまいそうな結末ですが、真次は地下鉄に乗って、また新しい歩みを始めようと誓います。
あなたも、地下鉄に乗ってみませんか?
- 作者: 浅田 次郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/12
- メディア: 文庫