幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

追及 その2。

息子の母親は、元々母には向かない人間だった。

子供が生まれたら変わってくれるのではと、そんな期待をした私が馬鹿だった。妊娠中「お前のせいで私は社会から脱落するんだ!」と膨らんだおなかをこぶしで殴りつけるような妊婦だったが、出産の瞬間に声にならない声で息子を抱き寄せ喜んでいた姿を見て、「やはり母親になると変わるんだな」と淡い夢を見ることは出来た。

しかし彼女は平凡な家事の連続では私以外にわがままが言えず、鬱積した気持ちのまま家庭外にはけ口を求めて他の男と会ったり、私の禁じていた喫煙も“仕事で外出中”に隠れて吸っていたりしていた。それでも私は自分が味わった「経験したことのない寂しさ」を息子に味あわせたくないが故、何とか夫婦関係の維持に腐心する日々だった。

そんな状態だから、生まれた息子に対して“よき母親”になることなど、あり得なかった。彼女は保育園からお迎えして自宅に帰っても、息子の世話は後回しで食事も入浴も私の帰宅を待つような状態だった。私が残業を終えて22時過ぎに帰宅すると玄関でずっと私の帰宅を待っていた息子が「パパ頭痛い」と、私に倒れ込んでくるようなことが、ひと月に二回もあった。それも二回とも息子は40度を超える発熱だった。私は帰宅後そのまま家に入らず病院へ直行し、そのまま息子は二回とも入院となったことで、「このままでは息子の命が危ない」と、二回目の入院の時に、私は離婚して息子を一人で育てる決心をした。

 その時に離婚の意向を両親に伝えると、母は「一人で子育ては大変だ、しばらく家で預かるから連れて来い」と言いだした。他にそんなに頼る当てもあるはずもなく、仕事をすべて育児優先にすることも難しかったことから、その時はその言葉に従ったが、後でそれがどれほど間違った選択だったかを思い知るとは、この時は考えもしなかった。

 

実は当時勤めていた会社の上司がとても信頼の出来る人で、更には私も息子を良く勤め先へ連れていったこと、そして日常的にヒステリーを起こしたうえで暴力をふるう私の妻の状況を逐次報告していたこともあって、本当はこの上司の家庭へ息子を預けたいと考えていたのだ。息子を実家へ預けた報告をすると上司は上司で、当然自分の元へ依頼が来ると考えていたらしく「なんだ、うちで預かったのに」と言ってくれた。実は私はこの上司が再婚したことを知らず、上司のお母さんに迷惑をかけると思い、お願いすることを躊躇っていた。もし上司の再婚を知っていたら、私は絶対に息子を実家に預けなかったはずだ。息子の近くに居たいし、何より両親より上司の方が安心だったからだ。

 

始めは両親も息子を大事に預かってくれていたようだ。まだ若かったのでまた子育てが出来る楽しみもあったと思う。

息子を寂しがらせないように、私は息子を実家に預けてから毎週金曜日の夜に夜行急行「能登号」で実家に帰り、日曜の夜に千葉に戻るという生活を半年以上続けた。ただこれは両親には不評で、「交通費も無駄だ。それにお前が帰ると(息子が)わがままで言うことを聞かなくなって困るから、3か月に一度くらいにしてくれ」と言われ、それでも私が実家へ戻るのを止めないと父から今度は強制的に実家へ入れなくされてしまった。

 3か月に一度に帰るようにしてから、弟の嫁が「能登で出産したい」というので、実家へ同居することになった。息子の使っていた部屋は明け渡すことになったが、この嫁が出産前は息子の相手をしてくれていたので私も「まあ、それなら良いか」と見ていたが、この嫁の出産後に事態が変わる。

生まれた子の世話で両親がかかりきりになり、息子の相手を全くしてくれなくなったのだ。

何も知らない私は、弟の嫁の出産後いきなりかかってきた母からの電話で驚いた。

母の電話の第一声が「お前は(息子が)可愛くないのか!」といきなり罵りから入るのである。私が「そんなはずないでしょう?なんでそんな事いきなり言われなきゃならないの?」と尋ねると、「お前は自分の息子が一人きりで可哀そうじゃないのか?」と言いだす。誰も息子の相手が出来ないというのである。

「え、おかしいよね?弟の嫁も居るし、そちらは親父もお袋もいるでしょ?」私がそう言っても、母はしかし聞く耳持たなかった。とにかく「直ぐ帰れ!」の一点張りで、その週末に実家に帰って愕然とした。

両親共に生まれた子供の世話ばかり。息子は父の趣味の部屋に置いてあるパソコンに一日向かっていて、食事と入浴、就寝の時だけその部屋を出ている状態だった。こんな状態で良いはずがない。

正直、弟の嫁の感覚を疑った。そうさせて平気な状態でいられる神経が理解出来ない。自分の子供じゃなければ良いのか。

 

息子は健気だった。生まれた赤ちゃんを弟だと思って、自分からちゃんと世話をするようになった。「おにいちゃん」と呼ばれてご機嫌で、色々なことに自信が出来たことは良かったと思うが、私の両親の対応は別問題だ。なぜ同じ孫で差別される必要があるのかと、この時本当に実家へ預けたことを深く後悔させられた。

 

当時私は、私の勤めていた会社が吸収合併で失業し、併せて息子の近くに居られるよう実家近くで仕事を探そうと金沢へ転居した。毎週実家へ帰ることは楽になったが、弟の嫁が出産しても帰らない。居れば私の両親から小遣いももらえるし、世話も楽だからだろうが、こちらはたまったもんじゃない。「孫差別」の状況も変わらない。私はとにかく早く自分で引き取りたかった。私の仕事が決まり東京で働くことになった際に、私は息子を連れて行くと言ったが、実家近くに住んでいた伯父に猛反対された。「(息子を)かぎっ子にしてお前は良いのか」と言われた。

父よりはるかに信頼していた伯父に言われたのだから、私は従うほかなかった。この伯父は、父の浮気が発覚し離婚問題となった際に、能登から千葉まで心配して飛んできてくれたような人だった。その時も、「お前ら二人がだらしないから子供がこんなにしっかりしてしもうて・・・。恥ずかしいと思え!!」と、私の前で両親をいさめてくれた。この時私は伯父への感謝の気持ち、そして理解者が居てくれたことでタガが外れて泣きじゃくってしまった。そのくらい、有難かった。そんな伯父も、もうこの世には居ない。

 だが、この伯父の反対の為に、私は大きな失敗をしてしまう。当時再婚をイメージして付き合いを始めていた女性と、焦って早く話を進めたくてそれとなく持ちかけてしまったのだ。すると、“本命”の人は離れていってしまった。慌てた私は他に可能性のある人に、再婚を前提に交際を申し込んでしまった。その後本当に私を落ちるところまで落とすような、悪魔のような酷い人間と。この人との交際開始当時から何度も「この人とは別れよう」と思うことがあったのに、やはり両親に預けるのはまずいと思ってしまったのだ。

 

実家に預けた時に、なるべく私を感じられるようにと使っていたタンスやおもちゃ箱はすべてそのままにしていた。タンスには息子が好きだったポケモンのシール、菓子パンを買うと1枚付いてくるものを新しく手に入れるたびに「次は、どこに貼ろうか?」と息子と一緒に貼っていた物だった。

そのシールを、父がすべて剥がし始めた。理由は「弟の子供がハイハイするようになって、触った時に汚いから」だそうだ。

触らなければ良いだけのことだ。そして触ったら手を拭いてやれば良いだけのこと。それなのに父は泣き叫ぶ息子を母に抑えつけさせて、シールを無情に剥がし続けた。息子を抑えている母と私が電話で話している最中のことだ。私は息子の泣き叫ぶ声を聞いて、実の父に、本当に殺意を抱いた。怒りで全身が震えた。それと同時に息子にすまない気持ちでいっぱいになった。こんな人に預けて父さんが悪かった・・・と。

 

息子を実家へ預けているときに、当然すべての息子の衣服も預けていたのだが、悪魔と再婚してから確認すると、無くなっている物がいくつかあった。そのうちの一つは、大きくなったら着せようと思っていたカシミアのセーターだ。かなり良いものだったが、良い色で息子に似合っていたので、奮発した。それが、無い。母に尋ねると「そんなの知らない。最初からなかったんじゃない?」と言う。いいや、あなたも親なら分かるだろう?子供に買ってやった服を忘れるはずなど無いじゃないか。しかも一着3万円もしたものだ。どれだけの思いで買ってやったか。それでも母は嘘をついた。おそらく弟の嫁が見つけて母に「これもらって良いですか?」と、尋ねたのだろう。聞く方も聞く方だが、あげる方もあげる方だ。

 

まだ息子が実家にいた頃、当時弟の住んでたマンションを引き払って引っ越しの話があった。弟の住んでいたマンションはバブル崩壊前に、ある企業が社宅として建てたものを、無責任なデベロッパーが安値で転売したものだった。専有面積が狭くて使いづらい上に、設備がそもそも賃貸用のレベルだ。私は当然購入前に反対したが、弟はおそらく当初から両親から支援を受けていたのだろう。「俺の給料じゃこれくらいしか買えないからこれで良いよ」と購入を決めてしまった。

弟はその後結婚するが、これがまた酷い嫁で借金をしまくって車を乗ったまま家出してしまった。その酷い嫁とは離婚し、その後私に大いに迷惑をかける今の嫁と再婚する訳だが、そうなるとこのマンションはこの新しい嫁には嫌な物件でしょう。住み替えたくなるのは無理もない。しかしこの物件は私の購入前に予想した通り、専有面積が狭く設備も劣悪、最寄駅からのアクセスも悪い為購入価格をはるかに下回る金額でしか売却出来なかった。それでも住み替えるとなれば、数百万単位での持ち出しは必須だ。

引っ越しの話を聞いて、私は不動産関連の仕事の経験もあるし知り合いも居るから買い換えのアドバイスをしようと考えたら、母は「県営住宅に引っ越しするだけだ」って言いだし、「お前は口出ししなくて良い」と私に言い始めた。私が「県営住宅は賃貸に住んでいる人しか入れないんだからそんな訳ないでしょう?なんでそんなつまらない嘘をつくの?」と母に言っても「県営住宅へ引っ越すんだ」としか言わずに黙り込んでしまった。何でこんな嘘を、信じたい実の親から言われなければならないのだろうか。おそらく、あの“塩漬け物件”を処分するのに必要な資金を援助してあげたのだろう、両親は。

弟夫婦はおそらく2回の子供の出産でうちの実家へ帰っていた時にもらっていた毎月の小遣いを貯金し、頭金は貯めただろうから、後の問題は物件処分の為のローン残債の返済だ。その援助をしたことを私に秘密にするために、見え透いた嘘をついたのだろうが、そんなことはこれまでの両親の行動から、して当然と考える私としては、お金を援助したことなどよりむしろ、私に「県営住宅へ引っ越す」などと見え透いた嘘をつかれたことの方が、ダメージが大きかった。実の親に、信頼する母にこんな嘘をつかれ、本当に情けない思いだった。

 

つづく

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