インターネットの世界の一番の利点は、国境がないことだと思います。私のブログですら世界のほとんどの国からご覧いただくことが出来るのですから。
それでも、わざわざそのインターネットの利点を消してしまって提供しているサービスが、存在しています。
世田谷でradikoが止まった ~ BLOGOS
http://blogos.com/article/73310/?fb_action_ids=545941765486494&fb_action_types=og.recommends&fb_source=aggregation&fb_aggregation_id=288381481237582
インターネットラジオサービスの「radiko」。AM放送でも音質良く聞けるので私もPCとスマフォの両方で使っていますが、実はこのradikoは、ものすごくめんどくさいことをして、地上の電波と同じ地域でしか聞けない仕組みを作り上げています。
IPサイマル放送と呼ばれるradikoのようなサービスは、本来ネットにつなげばどこでもすべてが聴取可能なのですが、radikoは元来が電波の特性上エリアを限定して聴取されることを想定して製作された番組を放送しているために、ネットで日本全国どこでも聴取可能・・・となると、それぞれの放送局で設定している放送エリアを飛び越えて聞けるというと、その番組が他局製作のものを購入したりしている場合に、ちょっとややこしいことが発生します。
ラジオに限らず、日本の放送はそれぞれの地域の電波の届く範囲をエリアとした地方に存在するローカル局と、そのローカル局に主だったコンテンツを提供する東京や大阪など中央にあるキー局という構成になっています。
特にテレビ放送に顕著ですが、製作された番組の放映権は、その放送で何世帯が視聴出来るのかということを元に料金が設定されるため、エリアを限定して取引されております。
ということは、狭いエリアで低い料金で購入した番組を、ネットで多くの世帯が視聴出来るようになってしまうとそもそもの料金が一体なんだったんだ・・・と言うことになってしまうのです。
この記事を書いた池田さんは、ネットでの制限はすべて悪という捉え方をなさっているようですが、むしろradikoというサービスが健全に育成する過程には、この制限もやむを得ないのではないかと思います。
もともと、ラジオは専用の受信機が必要だったりアンテナを準備しなければならなかったりと、気軽に聞くことの出来ないメディアになってしまっていました。そんなこともあって各放送局もスポンサーそのものが減少傾向で、メディアとしての存続が危ぶまれておりました。
それでもこのradikoというサービスのおかげで、実は音声だけのラジオという媒体にもまだまだ潜在的需要がありそうだということが、分かって来ました。私もそうですが、音声だけというサービスはパソコンでの作業を「しながら」聴取するには、意外と向いていることがこのradikoのサービス開始で気付いた方が多いのではないでしょうか?
そうなると、radikoのコンテンツを作成する放送局の経営が安定しないのはいただけません。radikoがいくら優れたサービスでも、流すコンテンツを提供する人が居なくなったら無意味じゃあないですか。
なんでもかんでもインターネットは自由・・・ということも理想ではありますけれど、radikoの主役でありそうな地方のラジオ局は、このradikoという媒体を使ってこれから新たなスポンサーを求めていくでしょう。
インターネットでIPアドレスを用いてわざわざエリアを限定することは、確かに既得権を守るだけの行為に見えるかも知れませんが、ことラジオ放送に限って言えば、これまでのビジネスモデルを根底から覆すサービスが導入されて、その草創期にはそれも必要なことではないかと思うのです。
radikoを使うことを前提としたラジオ局のビジネスモデルが出来上がったら、そのエリア限定も解除されるでしょうし。
Facebookでこの記事を取り上げた時には、エリア限定には私は否定的な考えでしたが、こちらのエントリーを拝見しまして、考え方が変わってしまいました。
http://www.organnova.com/?p=1265
radikoサービスの今後の発展を、期待したいと思います。
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