幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

花岡 信昭氏の日本ブログ批判についての反論。

SAFTY JAPAN(http://www.nikkeibp.co.jp/sj/index.html)の連載コラムに、花岡信昭さんという政治アナリストの方が寄稿していた「これでいいのか? ブログ世界の理不尽な未成熟さ」ですが、読んであまりにも??????だったので、ここに反論させていただきます。

ブログ世界の「理不尽な未熟さ」とありますが、何についてかと言うと、トリノ五輪での荒川静香選手が、金メダルのウィニングランを行ったのをNHKが映像として放映しなかった件、これはネット社会で確かに火がついてしまい、NHK批判の格好の道具となりましたが、それについてこの花岡氏は、NHK側の事情(国際映像でウィニングランを放映しようにも映像がなかった)を説明したところ、NHK擁護だとして猛批判を浴びたそうです。

NHKには偏向報道の前科には事欠かないし、受信料の件での勘違いも甚だしく、批判を受けても仕方の無い存在にはなっています。しかし、正しい情報がブロガーの元に伝わる仕組みがあれば、ここまで「批判の火の手」は上がったでしょうか?私も含め、現在の日本のブロガーは押しなべてメディアの偏向報道に不信感を募らせており、“真実を知る手段への飢餓感”がこういった批判に火をつける根源になっていることを、花岡氏は気づく必要があります。

今回、花岡氏が取り上げた「国際映像での事情」も、ブロガー達には知る由も無く、公平に判断出来る情報ソースを持たない、という視点が花岡氏には明らかに欠けています。花岡氏は

“事実を元に議論しあう基本的態度を そこまでやられたら、だまってはいられない”

などと言われていますが、自分の“正確な取材”に基づく情報で、一方的に説明されても、それを受け取る側は一体何を持って正当性を判断しろ、と言うのでしょう?ブロガーはあくまで自己の知りうる範囲の情報でブログを書いており、その前提でそのブログの意見を読む側が判断すれば良いと思うのですが。ここまでの“過剰反応”は、情報を送り出す側の反応としては、あまりにお粗末ではないでしょうか?

このコラムの表現を見ると、自らが思わぬところで批判の矢面に立ってしまった苛立ちしか見えて来ません。花岡氏のコラムでは、日本のブログ社会の現状を

総務省の予測によると、2007年3月末で、ブログの利用者は782万人、閲覧者は3455万人に達する見込みという。ネット社会の中軸たるべき存在となっているのだが、その実態たるや、きわめて陰湿、低次元でお粗末きわまりない。匿名で罵詈雑言、誹謗中傷を浴びせあう世界となっているのである”

などという、極めて主観的で公正さを欠いた表現が、残念ながら見受けられます。こんな表現では、現在ブログを行っているすべての人への“挑戦状”としか思えません。私のブログも“低次元でお粗末極まりない”ものなのでしょうか?花岡氏に聞いてみたいものです。

花岡氏はコラムの最後で

“以上の状況を詳細に伝えたことによって、ブログの世界はようやく沈静化に向かった”

と書いていますが、ちゃんとソースの正確性が理解できれば日本のブロガーは落ち着くことを実証されているではないですか。まあ、このウィニングラン問題は、正確なソースを公正に判断したブロガーが他にも存在したし、状況を注視し批判に加わらなかった私のようなブロガーも相当数居るのも事実です。何も花岡氏のウェブサイトだけで沈静化した訳ではないのです。

花岡氏はさらに

“それにしてもブログの世界の水準はひどすぎる。アメリカのようにブログがジャーナリズムの一角を占める時代は、日本には来ないのではないかとすら感じている”

とまで言われているが、その根拠は何なのでしょうか?私にはアメリカのブログ社会が日本より優れているとは思えないし、日本より遥かに偏見に満ちた攻撃を行うブロガー達も、アメリカには相当数で生息しています。何もかもアメリカが優れている的な表現は、厳に謹んで欲しいものです。いわんや

“ブログはいわゆる「ネット・オタク」に占領されているのではないか。これを大人の世界にも通用するレベルに持ち上げないといけない。そのための方策を考えないと、成熟したネット社会は到来しない”

などと言うのは度を越した根拠の無い批判で、氏が自ら言われている

“当方のスタンスは「批判するなら、あくまでも事実を踏まえて」”

と大きくかけ離れているではないですか?
私はブロガーではありますが、ネットオタクではありませんので、悪しからず。