幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

反響。

前エントリーでの余りの反響に、私自身が戸惑っておりますが、たくさんのご意見をいただきまして、ありがとうございました。

それだけ、「ベビーカー」について、日々感じていらっしゃる方が多いことの表れなのかな?と、考えています。私のエントリーの内容よりも、コメントで盛り上がってしまい、最後はコメントで括られちゃったような感じですね。

ベビーカーでの電車乗り込みには、賛否両論あると思いますが、何事も最終的には「自己責任」と「思いやり」が大切、というところに行き着くと、私は思います。

ベビーカーを押した状態で電車に乗り込むのは危険、というのは厳然たる事実ですし、乗車してから広げて使うのも、製造メーカーすら推奨していない訳ですから、それでも使用することを肯定されるのなら、あくまで“自己責任”で、そして周囲にも気を配ってお願いしたい、そう思います。

あとは、一部のご意見にもあります「子育てのしにくい世の中」・・・これは果たしてどうなんでしょう。

確かに、子供が子供らしくあるためには、本当に不都合な世の中にはなっています。暗くなってから帰宅するのでは、変質者にさらわれてしまうかも知れませんし、公園でキャッチボールをするのも、今では禁止しているところばかり。外で遊ぼうにも、遊ぶ場所すら見つかりません。子供が、子供同士のふれあいを通じて人間関係を学習する場すら、学校以外には見つからない状況です。これでは、ほんとに今の子供は「不幸」としか思えません。

私自身の体験ですが、息子が3歳前のときです。良く癇癪を起こすくらいの年頃なんですね。思うように行かないと、いまだ上手く表現する手段を持たないですから、ぐずったり泣き止まなかったり。買い物に連れて行っても、欲しい欲しいとぐずりだすとどうにもならなくなっちゃうんですよね。

ここで、安易に買い与えてはいけない、と思って、ダメと言ってるとますます大声で泣き叫ぶものですから、親としては冷や冷やものです。でも、私は床にひっくり返って泣き叫ぼうが何しようが、ダメなものはダメと、絶対に認めません。

これ、世間的には許されないようで。回りを通る人、特に子育てを終えて何年も経ってしまっているような年代の女性から、すごい目で睨まれるんですよ。ごめんなさい、うるさくて、と言っても済まされません。中には私のことを罵っていく方までいらっしゃいます。「こんなところで、迷惑よ!」と。でも、子供の成長過程でこういうことって、絶対必要です。回りに遠慮して何でも買い与えて黙らせて、それで良い訳ないでしょう?それを、余裕を持って見守ることの出来る人が、ホントに減っていますよね。だから、コメントで「子育てに冷たい世の中」というお母さんの主張も、私は理解しているつもりです。

電車内で子供が騒ぐのは当たり前ですよ。それを「こんなところで騒がせるなんて、日頃の躾がなってないんだわ」みたいな視線を投げかける事自体、少子化に拍車をかけるんだろうな、と思います。要するに子育てに理解がないのですよ。それだけ余裕のない社会なのでしょう。


親子の関係においても、親として自分の手間になることは簡単に済ませたくて、ベビーカーを安易に使ってみたり、騒がないようにおもちゃやお菓子を簡単に買い与えたりするっていう、安易な解決方法に終始されている親御さんもいらっしゃり、やっぱり「子育ては親育て」なんだなあ、と思ったり。

その上、なるべく子供が困らないように悩まないように世話を焼き、何だか「愛情」と「自己満足」を取り違えてない?って思う親御さんもおられ、何だかなあと感じることばかりです。

子供なんて、突き放したって良いんですよ。ちゃんと見守っていれば。そうでないと自分で解決する能力が身につかないじゃないですか。

でも、突き放すには、根底に「信頼」があることが前提ですよ。

何だか子育てについて、色々反省させられました。子育てって、思いやりと愛情が一番大切だと思うんです。自分の身に何があっても、“この子だけは守りたい”って言う気持ちと、“ここで甘やかしてはこの子がダメになる”って言う気持ちのバランス。このバランスを維持するには、親である私の気持ちのバランスを保つことが、一番大切なのかも知れませんね。