違和感。
久しぶりに映画館で映画を観て来ました。
今回は感想ではなくて、この映画についてのネット上の意見に感じた違和感について触れたいと思います。何しろ、この映画の原作者の業界にかかわる人たちからのディスりがあまりに酷いので。
例えば、これ。
書き出しではいかにもフラットな立場を装いつつ、後半に繰り出す徹底的な作品批判。
私がこの映画を観ようと思ったのは、テレビの番組やYou Tubeでの西野さんの発信を見て興味を持ったからであり、その上で西野さんのコメディアン時代のことなど何も頭にない状況で、映画を観ております。
この映画批評に対して意見させてもらうなら、「台本の批判なんか、やろうと思えばどんな台本でも批判出来る」ということ。
この作品の訴えたいことについては、ご覧になった方がそれぞれ抱けばいいことです。それがエンターテインメントだと思うんですよね。
それをストーリーの微に入り細にわたり批判してくる。
例えばここ。
よそから見つからないように、また、住民が外に出て町の存在を吹聴しないように煙幕を張り、迷信が流布されていたはずなのに、町全体を危険にさらす行為をすることに主人公はなんの躊躇もなく、体制を護持してきた側はなんのお咎めもしないのである。
主人公は十分に危険にさらされていますし、体制側もルビッチを追うシーンも描かれているのに、これではちゃんと映画を観ていないとモロバレではないですか?
ヤフコメの批判も、彼のコメディアン時代からのテレビなどでの言動に基づくことで、それで個人的に好き嫌いになるのは良いと思いますが、今の彼の作品を評価し好んで見る人に対して信者だ宗教だと言い出すのは、ちょっと違うんじゃないですか?
私は西野さんのコメディアン時代は知りませんし興味もなかったですが、今回彼がお笑いからこの世界へ舵を切った気持ちや作品に対する思いを聞いて、「じゃあ、観てみようかな」という感覚で映画館へ足を運びました。
観た感想は、「粗さはあるけど、映画製作にかかわるすべての人の思いがこもった良い作品だな」というものです。
You Tubeの西野さんの発信で拝見しましたが、彼は自分で作詞作曲した曲から、映画の構想を膨らませたとのこと。
絵の精緻さはピクサーも同様ですし、絵本で綺麗な絵を使っているものも、本屋さんの絵本売り場に行けば、今は沢山あります。ある人が、「子供は精緻な絵を読み取ることが出来ないから、プペルの絵本は子供向けではない」なんて批判をしていましたけれど、それは子育ても子供に絵本を読み聞かせした経験もない方の意見なのでしょうね。
私がプペルを観て感じたのは、コロナで生活が一変した人々が、他人の行動を逐一監視し批判するようになったことについての回答のように思えたということ。
このプペルへの「他者を危険に巻き込んでも自分の信念を通すのは危険」という批判は、正に自粛警察の行動と同じなのですよ。
自粛警察といわれる方の行動は、「社会の為に危険分子を排除する」という行動で、それって正にえんとつ町の「目立った行動はしないでくれ」という住民たちと同じなのです。
このプペルへのディスりがこんなにも多いことで、ほんと今の社会は息苦しいなと感じてしまいました。「空の上に星があるんだ」と叫ぶことも「周りに迷惑だから止めてくれ」の声で押しつぶそうとする人が、こんなにも多いとは。
この国に、未来ってあるんでしょうか?
私に何が出来るでしょうか?