愛、深き淵より。
星野富弘さんの自叙伝、「愛、深き淵より」。
日曜日を2回使って、ようやく読み終わりました。
先日の“膀胱炎事件”で出会った星野さんですが、この本は電車に持ち込む勇気はありませんでした。そんなことをしたら、洞爺湖サミットで警戒が強化されている電車内で、警官に職務質問されること請け合いです。本で顔を隠してブルブル震えて泣いてしまうかも知れませんから(笑)
「愛、深き淵より」は、星野さんが新任体育教師になって数ヶ月で頚椎を損傷してから、退院し実家へ戻り、詩画という独特の形で“自己実現”するまでを綴った本です。
- 作者: 星野 富弘
- 出版社/メーカー: 立風書房
- 発売日: 2000/04
- メディア: 単行本
こういう「本」として、自らの人生を振り返る時には、人間誰しも自分を少しでも良く表現しよう、良く見せようと思ってしまうものだと、思います。自ずと文体も余所余所しい物となり、内容にも脚色が入ってくるでしょう。ところがこの「愛、深き淵より」で描かれる星野さんの姿は、親の前で晒す“生まれたままの姿”そのままと言えるものでした。
ここまで自分を曝け出す事が出来るのは、突然の事故で四肢の自由を失って尚、自分を見失うことがなかった星野さんだからだと、思います。
人間、障害を持ったり苦労をしたりしていても、そういった経験をした人が皆一様に心が清らかになるかと言うと、決してそんなことは無いのです。自らの境遇を恨んだり、人に対して辛く当たったり、果ては自らの境遇を呪い命を断ったりする方もいらっしゃいます。そんな中でも自分の気持ちを見失うことなく、突然訪れた「不幸」な状態の中でも幸せを感じることの出来る、心を保ち続けたいと、この本を読んで強く思いました。
私が一番心に残った行は、星野さんが体の自由を失ってから初めて車椅子に乗ったときのことを書いていたところです。
体に何の不自由もない人から見れば、車椅子に乗った人は「なんてかわいそうなんだ」と思うでしょう。でも、車椅子にすら乗れるかどうか分からなかった人が、「自分が車椅子に乗れるなんて」と喜びに浸っている方だったら、それは本当に不幸なことなのでしょうか?
もう、一人で外に出られることもないと諦めていた人が、車椅子に乗れるまで回復して、外の世界に出ることが出来た・・・。それはどれだけ幸せなことでしょう。
「病気やけがに、不幸という性格を持たせてしまうのは、人の先入観や生きる姿勢のあり方ではないか」と問いかける星野さんに、思わず「そうですよ、その通りです」と頷いてしまいました。
私も、もっと自分の現在に「幸福」を感じることの出来る人間に、なりたいと思います。