幕張の風

So-netブログ「From Makuhari~幕張の風」から移転しました。 仕事のこと、ニュースのこと、音楽のこと、野球はMarinesと高校野球中心に書きとどめたいことを書いて行こうと思います。

再出発。

そろそろ1か月になりますが、私は現在、石川県加賀市に住んでおります。


タクシー運転手として余生を送ろうかとも考えていましたが、世の中は常ならず、どう努力しても増えない収入に比べて、腰肩肘を痛めた身体にはこの仕事は過酷過ぎまして、また営業の職を探しておりました。

でも、こっち(営業で再就職)はもっと世の中甘くないんですよね(笑)

 

半年近く、お祈りメールをもらい続け、数少ないいただけた内定も、タクシーとあまり変わらない収入では変わるほどの魅力はなく、「そろそろ諦め時かな?」と考えておりました。

ところが、営業ではないですが、「本社の仕事でやって欲しいことが沢山あるのですが」とのお声掛けを、ひょんなことからいただきました。

私の生まれ故郷、石川県の企業でした。

実の両親ともそれほど相性の良くない私は、房総で老後は過ごそう・・・と考えておりましたが、母が末期がんの宣告を受け、この4月に手術をしたのです。

 

父よりも先に、母が亡くなると、かなり悲惨な状況が予想されます。ただでさえ、何の家事もしない父です。先日、1年ぶりにあった時も、抗がん剤の治療で弱り切っている母に家事をさせているくらいの人です。そんな状況ですから、いくら子供時代に色々あったと言え、他でもない実の親です。放っておく訳にも行かないでしょう。また、母の最期を看取ることが、もしかしたら出来るかも知れません。

加賀市からは、実家までは多少距離があることも私の判断を後押ししました。同居するとやはり色々厳しいかな・・・と。その為には都合の良い距離感なのです。いざとなればクルマを飛ばせば1時間半で行き来は出来ますし。

 

ただ、現実的にはタクシー運転手時代にまったく貯金も出来ず、その日暮しに近い状態でしたので、現在就職活動中の息子と、息子を一人に出来ないので残ってくれた妻を千葉に残しての単身赴任生活は、金銭的にはタクシー運転手時代よりも厳しいものとなります。

それでも、万一の時に母のところに行くことが出来ることは、何者にも代えがたいかと、考えました。むしろ躊躇う私の肩を、妻は押してくれました。

「後悔のないように決めてね。望まれるということは、何かの縁だから」と。

病気がちで私と結婚してからも家事のほぼ7割方は妻を気遣って私がやっておりましたが、そんな状況でも単身での再出発を後押ししてくれた妻には、本当に感謝しかありません。私の給料だけでは学費を払ってはとても食えませんから、フルタイムで働いて家事もすべてこなして・・・となると、やはり妻の体調は気がかりです。

 

息子は、私とは違って千葉で生まれて千葉で育ちましたから、就職も関東で今後もおそらく関東で暮らすことになるでしょう。妻が加賀市に来るのはおそらく1年ほど先になると思います。

それまでに、私の新しく与えられたミッションを、少しでも前に進めて行ければ。

まだまだ発進したばかりですが、フルスロットルで進みたいと思います。
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ずっと

当たり前だった 目に映る景色

崩れ落ちた 積み上げたはずの石に

繰り返した躓きの 償いは重く

取り戻せない暮らしに 焦る日々

でもそれは前触れもなくやって来た

巻き込まれた 嵐の終わりは突然に

 

何気ない いつもの道で
感じた心の距離

夢見てた未来は遠く

闘いの日々に埋もれて

 

目に映る景色がふいに 滲んできた朝日に

ただいま を言おう

僕を待って居たのは 昔繰り返したデッサンとは違う

柔らかく包む 暖かな日差し

寄り添ってくれるぬくもりがあるからきっと

待ち侘びた日々が そこにある

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無情。

私の、仕事上のキャリアの最初は、貸金業協会でした。金融110番の主担当で、1980年代後半のバブル前夜、改正貸金業法金利が移行措置の54.75%だった頃。私はその後協会の指定個人信用情報機関へ転籍することになりますが、金融110番での債務整理を行った方は4年間で300人ほど。

その中の一人に、30代前半の女性がいました。
協会で債務整理を行った条件で返済を始めて2年目に入り、それまでは約束の入金をしっかりなさっていただけでしたが、突然協会の事務所へいらっしゃいました。

なんでも、債務整理で生活が元に戻り、心にゆとりが出来たことでお付き合いを始めた男性からプロポーズされたとのこと。この女性は正直に協会での債務整理を男性に伝えたところ、「俺が全部払ってやる」とのことで、途中一括返済のご相談に来られたのです。

残債が多ければ一括弁済で再度業者側と減額交渉も行うことが出来るのですが(この交渉は貸金業の実務を知らない弁護士には絶対出来ません)、この女性は「もう、充分良くしていただいたので、減額は要りません」とのことで、現在の残金全額で一括完済をなさいました。
協会事務所からお帰りになるとき、「本当にありがとう。こちらでお世話になっていなければ、こんなに嬉しいことが起きることはなかったと思います。また遊びに来ても良いですか?」と言って、お別れをしたのです。輝くような笑顔を残して。

まさか、それが最後になるとは、思いもしませんでしたが。

それから3か月ほどしたある日、新聞の小さな記事を見て、私は絶句しました。その女性の名前が、「交通事故で死亡」の記事と共に、載っていたのです。


私は、いったい何の為に、彼女の人生に関わったのか?これで本当に彼女は良かったのだろうか?色々なことを考えました。そして人生はこれほどまでに無情なものなのかと、大声で叫びたくなるほど、心の痛む出来事でした。

今では、テレビでも「借金問題、過払い返還」なんて司法書士風情がCMを流す時代。直接会って相談して解決することもなく、電話一本で条件に合えば本来は有効な支払済みの金利が返ってくる魔法で、誰にも感謝の気持ちなんて、持てない世の中になってしまいました。

きっとそんな過払い返還なんて、この女性なら絶対に考えなかったでしょう。それでも、そんな方がどうしてこんなに早く、この世を去らなければならないのか?

私に、まだ現世で出来るのことはあるのでしょうか?しっかり見つめ直してみなければなりません。いつ何時、どんな理由でこの世を去ることになるか、分かりませんから。精一杯のことを、したいと思います。

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支え。

タクシーの仕事をしながら、空車の時にはFMラジオを聴いているのですが、その中で現役の高校3年生が、両親の離婚に戸惑い進学を諦め、それでも自分の夢を追いたいのに現状に流されている自分が恥ずかしい・・・と言った内容の、電話相談を取り上げていたものを耳にしました。
この子は女性ですが、自立し生活費も自分でまかないながら、高校卒業後は自分の夢を追いたいと。
その姿に、私が大学生時代、学費と生活費に追われて中退してしまった過去が被り、思い出されてしまいました。でも、この女性と比べれば、タイミングは楽だったかも知れません。

学費を払ったとは言っても、私は大学入学時には親に入学金を払ってもらっています。入学してから家庭環境が激変してしまいました。両親の不仲(有体に言えば、父親が不貞をした上にお金を家に入れなくなってしまっていました)とそれを原因とした母の情緒不安定で、私は突然降りかかった生活費と学費の負担でアルバイトに追われ、元々それほど興味の持てなかった大学の授業に興味を完全に失うまでに、さほど時間はかかりませんでした。

すさんだ自宅へ帰るのも辛く、このラジオの女性が耐えかねてラジオで電話相談したものを、高々19歳の私がどうやって精神状態を維持していたのかなと、ふと考えましたら、これまでは辛さからでしょうか、自分の当時の記憶を完全に消し去っていたものが、何故かこの時すーっと思い出されました。

大学入学後しばらくしてから交際を始めた女性に、私は完全に精神的に依存していたのです。「帰りたくない」とこぼすと彼女は「あなたのお母さんには、今あなたが必要なの。帰って支えてあげて」と、諭してくれることも度々。

でも、私が我がままを言って彼女を困らせることの方が、多かった。彼女もまだ大学生。学校もある家にも帰らなければならない。予定を曲げても私と一緒に居てくれと、無理なお願いばかりしていました。その結果彼女も負担に耐えかねてしまって、別れることになってしまいました。私はまだまだ子供だったので、自立したお付き合いが出来ず、本当に彼女には迷惑をかけてしまいました。もしどこかで会うことが出来たら、感謝の気持ちだけでなく、謝りたい気持ちでいっぱいです。

この苦しかった時に私を支えてくれた人がもう一人。昨年4月に亡くなった伯父です。両親の不仲で収拾がつかなくなり、困り果てて真っ先に相談したのが、伯父でした。伯父は明番にも関わらず、能登から千葉まで飛んで来てくれました。

「お前らいい大人二人がしっかりせんもんやから、子供がこんなにしっかりしてしもうてて・・・。恥ずかしいと思え!」と。両親をいさめる伯父の言葉を聞きながら、私は本当に救われた思いがしました。

本当に追い込まれてしまった時には、必ず支えてくれる人がいました。今もそうでしょう。扱いの難しい、お金のかかる大学生を抱えた私の所に来てくれて、寄り添ってくれる妻がいます。焦りのあまり事業を失敗し、そこから脱しようとあがけばあがくほど落ちてしまって、自己破産まで追い込まれてしまいましたが、それでも離れずに居てくれます。

 

日々の生活に埋没しているつもりはないものの、やはり一度レールから外れた生活を立て直すのは容易ではありません。
一般的な判例とはかけ離れた不当な裁判の結果で負わされた借財に加え、そこから焦って早く脱しようとした結果、更に悪い結果を招いてしまい・・・。

タクシードライバーとして当面の生活の糧を得ながら、息子の学費負担に追われていますが、これもやはりお金に苦労して中退してしまった、自分の悔しい思いを息子にはさせたくないが為。


若い頃から睡眠時間も短く、身体を酷使して来ましたので今では障害のある左腕だけでなく、右腕も肩・肘・手首を痛め、仕事だけでなく日常生活にも支障が出て来ました。心臓にも肺にも、今は治まっていますが持病を抱えています。

それでも命まで取られた訳ではありません。今、自分が出来ること・可能なことに集中して、必ずこの苦しい状況は終わると信じて進みたいと思います。
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心機一転。

個人的に、2008年から続いていた数々のトラブル。まるでサイコパスの前妻からの離婚裁判時に相手方の代理人だった弁護士への懲戒請求も、互助組織としか思えない弁護士会には自浄作用などあるはずはなく、当然のように棄却されてしまいました。

裁判時の違法証拠提出なども併せて、民事での訴訟へ移行するつもりでおりましたが、現在の私の状況と、将来に残された時間を考え、すべてを止めることとしました。

過去に拘泥するよりも、これからの家族との時間を優先したいのです。

息子も、これから将来を決める就職活動へと入ります。私も、現在の妻との今後の生活計画をしっかり組み立てる必要があります。過去のことに拘泥して時間やエネルギーを浪費するよりも、新たに何かを生み出す努力をする方が、必要だと気付いたのです。

私が現在生業としているタクシードライバーだけではなく、他にも私に出来ることを探し、それに集中します。

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実証。

先日都内で行われていた、タクシー初乗り運賃410円の実証実験結果が発表されました。

trafficnews.jp

この実験には私の勤務する会社も参加しておりましたが、その実験方法には疑念を抱いておりました。
JR新橋駅の指定乗り場から乗車する車両で、実証実験の表示を行ったクルマのみがこの実験対象車両となるのです。(乗り場は他にもいくつかありました)

 

www.mlit.go.jp


「実証実験」というのなら、普通に考えれば比較対象集団をほぼ同条件で設定し、料金設定以外を同一にして、二つの実験結果を比較しなくては、意味がないと思いませんか?

この実験内容では、初乗り410円とした車両の乗車率や日ごとの売上は分かりますが、同じ日の同じ条件での730円初乗りのままのタクシーの、乗車率や売り上げの変化は比較のしようがありません。

 

本当に実験検証をやるなら、都内の営業エリア全域での流しタクシーのサンプル集団を抽出し、410円初乗りとしたものの乗車率(実車率)と売上を、730円初乗りのままのタクシーの乗車率(実車率)と売上と比較すべきです。

もちろん、その母集団のタクシー運転手の技能(営収を上げる能力)によっても左右されるので、平均営収のほぼ似通った運転手をそれぞれに配置する必要があります。

こうやって初めて本当に比較が出来るものを、指定乗り場乗車だけで何のデータを公表するのかと思ったら、そのタクシーに乗車した人に対して、乗車意向調査をしただけ・・・と聞き、驚きを通り越し怒りすら湧いて来ました。

「茶番」ですよね、これ?始めっから運賃改定ありきで、世論誘導して改定へのおぜん立てをしたに、過ぎません。

私が初乗り410円を「値下げ」と表記しないのは、これはまったく値下げではないからです。

初乗り以降の運賃は、従来は280メートルごとに90円(≒0.321円)ですが、新料金では237メートルごとに80円(≒0.337円)なのです。


渋滞がないと仮定して比較すると、10キロ(1万メートル)の料金は

従来は2キロ730円+8,000メートル×0.321円≒3,290円

新料金では1.059キロ410円+8941メートル×0.337円≒3,420円

 

となってしまいます。完全に「値上げ」です。

2キロ以降の料金は、むしろ高くなってしまうこの料金体系は、これまでのタクシーの中心利用層の離反を招くのではないかと、懸念しております。深夜のロングのお客様の料金は、確実に1割以上は高くなるからです。そんなんで「タクシー高いし、始発待とうか?」なんてなってしまえば、初乗りが下がる以上に我々タクシー運転手には痛い。私の場合で一か月の営収のほぼ4割が、深夜帯の売上だからです。

初乗りを410円にして営収が下がることは努力で補えます。しかし、大幅値上げとなる遠距離顧客の離反を招けば、これは努力ではどうにもなりません。

最大手企業の思いつきだけで始めて、内容を深く検証せず突っ走るのは、勘弁して欲しい。一つの産業の根本を変える時は、もっとしっかり検証を行って欲しいものです。

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父の姿。

皆さんは、「父親」と聞いてイメージすることは、ありますか?

日本も核家族社会(単一世代または直接の親子のみで構成される世帯)と言われ久しく、家庭における父親の役割というのも、私の子供時代の昭和40年頃とは、大きく変わっています。

普通に考えれば、男性であれば成長し結婚し子供を授かることが出来れば、誰しも「父親」になる訳ですが、誰でもその立場になることは出来こそすれ、「父親」の役割をきっちり理解し、果たしている方は、少ないんじゃないでしょうか?私も含めて。

一般的には男性が父親になるときに、手本とし習おうとするのは自分の父親だと思います。ただ私は、実の父との関係が良くなかったこともあり、また実際問題としてあまり手本に出来るような父親でもなかったので、私にとっての父親の“お手本”は、故郷の能登の実家の近くに住む母の兄、つまり伯父でした。

その私にとって「父親」そのものとも言える伯父が、今年(2016年)4月に、帰らぬ人となりました。私の実の父からメールで伯父の死の一報をもらった時、頭が真っ白になりました。ここ数年体調不良が続き、特にここ1年近くは外出も出来なくなるほどに、伯父は弱ってしまっておりましたが、何故か「きっとまだ元気で居てくれるだろう」と、勝手に理解してしまい、この年の正月の帰省を見送ってしまったことが、悔やまれました。

幸い出番の調整も出来、告別式には何とか間に合いそうなので、私はクルマを飛ばして一路能登を目指しました。

葬儀では、故人を偲ぶ映像として、これまでの写真を順にビデオとして流してくれました。その中で、私も一緒に連れて行ってもらった甲子園球場での写真もありました。私が高校3年生になる前の春休み、実家に久しぶりに帰省した時に伯父に「甲子園へ選抜高校野球観に行かんか?」と、誘われたのです。

 私は弟と二人で、伯父の運転するワゴン車に伯父の家族と一緒に乗り込み、奈良大和路と大阪へ向かいました。

 

甲子園球場での観戦中、私たちの前に座っていた女性2名に、後ろから吐いて飛ばされたガムがついてしまうという、「事件」が発生しました。私はこんな人の多いところでガムを平気で吐き捨てる感覚が許せず怒りに震えていましたが、隣に座っていた伯父は、もっとすごかった。大声でガムを吐いた人間が居ると思われる方を向いてこう怒鳴ったのです。

 

「誰やこんな悪いことするがは!!ここへ出でこ!!(こっちへ出てこい)」

 

その剣幕に驚いた二人の若い男性が、その場から逃げるように立ち去って行く姿が、はっきりと分かりました。

 

いつどんな状況でも、とっさに「良いことは良い、悪いことはダメ」ということがはっきり口に出して出来行動できる、そしてそれが決してぶれることがない伯父は、私にとって本当に「父親」のお手本でした。

私は、両親がそろっているのなら、父親は規範、母親は愛情を子供にしっかり伝えることが大切だと、考えております。そのことが子供にしっかりとした規範意識を身に付けさせ、人にやさしさをもって接することが出来る大人となる基盤を作ると、考えるからです。

私は、結構やんちゃでわがままでしたので、伯父のところの兄弟二人と一緒に遊ぶときなど、しかられることもしょっちゅうでしたが、私は伯父を怖いと思ったことは一度もありませんでした。伯父の「叱る」には、いつも愛情が根底にあるのを、私には理解出来たからです。私が決してやってはいけないこと、間違ったことをすれば全身全力で怒りを表してくれます。伯父には、本当に感謝しかありません。

 
私が、会社の経営に失敗しタクシー運転手となることを決意したのも、伯父がその仕事を生業としていたことが、大きな理由です。才能がありながら家を守ることを背負わされ、田舎に「封印」されたまま3人の子供を皆東京の大学へ進ませた伯父が、家族を守るために選んだ仕事だから。


タクシーの仕事は、見た目以上に精神的にはきつい仕事です。流しで選ぶ道を間違えればお客様には出会えません。給料はすべて自分の売上次第です。黙って会社に出勤すれば給料が出るほど甘くない。ご乗車位置から、目的地を伺った時点で瞬時に経路と時間、最短コースを判断しなくてはなりません。色々な方が乗って来られます。気の良い人ばかりではありません。すぐ怒鳴る人、騒ぐ人、どんな人にも苦情となることがないよう、臨機応変に心地よい対応をしなくてはなりません。

 

一人深夜の運転席で、売り上げの上がらないプレッシャーに耐える時も、疲労の極限で眠気と闘いながら運転している時も、傍で伯父が見守ってくれていると感じながら、「無事帰るぞ、目標はやり遂げるぞ」と諦めず粘ることが出来るのは、私に父の姿を見せてくれた、伯父の後姿があればこそです。

本当は亡くなる前に、一度で良いから私のタクシーに、乗ってもらいたかった・・・。


これからも、見守っていてください。

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